うららかな秋風に揺れる桃色の花の群生。
頼りなく細長い茎に大きな花弁をつけるコスモスは、秋の代名詞ともいえるだろう。
町内会で管理している花壇にも、コスモスがチラホラと咲き始めていた。
その可憐に咲き誇るコスモスたちのなかの一輪にフォーカスを当てた写真が、ぽこん、と俺のメッセージアプリに送られてくる。
差出人は彼女だ。
『この子が一番かわいく咲いてた』
アプリを開いていると、彼女からこんなメッセージが送られて、一気に心が乱れる。
は?
そんなメッセージを送っちゃうあなたのほうがかわいいですがっ!?
コスモスの写真もいいですが、もっと自撮りを送ってくれでもいいんですよ!?
あ、自撮り下手くそなんでやっぱりいいです。
俺が撮ります撮らせてください!
気がつけば制御を失った指がそれらのメッセージを彼女に送り続けていた。
瞬時に既読はつくが返事が来ない。
おそらく、彼女は画面を開いたまま放置していた。
その証拠に、外に出ていた彼女が静かに玄関のドアを開けられる。
いつもなら彼女はシャワーに直行するのだが、俺のメッセージ乱舞のせいだろう。
ひょこっとリビングに顔を出した。
「コスモス背景に自撮りは無理だろ」
「しゃがめばかわいく撮れるでしょうが」
彼女の俯瞰という栄養価が高いアングルの写真は、あればあるだけいいに決まっている。
そのうえしゃがみ込むとか絶対にかわいいというのに、当の彼女は難色を示した。
「……近所でソレはちょっと芳しくないか?」
「では、これからフラワーパークにでも行きましょうか」
いい大人が町内会で管理している花壇で自撮りするという絵面が恥ずかしいのであれば、観光名所でガッツリ咲き乱れるコスモス畑でなら恥ずかしくないということだろう。
コスモスの見頃としてもちょうどいい時期のはずだ。
そうと決まれば、俺は近くで楽しめそうなフラワーパークを探し始める。
「その格好で?」
ポチポチと携帯電話をいじくる俺に、彼女はため息混じりに肩をすくめた。
「……」
指摘されて、俺は自分の身なりを確認する。
連休の中日ですらないいたって普通の平日だ。
社会人である俺はネクタイを締め、スーツを着こんでいる。
まじまじと彼女を見つめて首を傾げた。
「なんで俺、今日が仕事なんでしょう?」
ガックリと肩を落とすと、彼女がクスクスと笑い声をこぼした。
「安心しなよ。私も午後から仕事だから」
「俺が休んでも行けないじゃないですか」
「シレッとサボろうとしてんじゃないよ」
さすがにあきれさせてしまったのか、彼女の口調が少しキツくなる。
「ほら。寝ぼけてないでさっさと出なよ」
手を振って彼女は俺を無理やり見送ろうとするが、まだ時間にはゆとりがあった。
もう少しだけかまってほしくてふざけてみる。
「いってらっしゃいのチュウがないと家から出られません」
照れるか怒るか困るかするだろうなと思っていたのに、俺の予想はどれも外れた。
すんなりと俺の言葉を受け入れて、目を閉じて軽く顎を上げてキスを待つ。
「ん」
キャアアアアアアッ♡
朝からあなたのキス顔とか♡♡
カロリーが高くてコーヒーのおともには身に余るほど贅沢なモーニングだ。
最高でしかない。
かわいい。
しかし俺がほしいのはキス顔ではなくキスだった。
かわいいキス顔を堪能しつつ贅沢な不満を抱えていると、長い睫毛が持ち上げられる。
「……しないの?」
「しますが?」
ああ、俺が立っているから届かないのか。
今日もちっちゃくてかわいいなあ。
「あ、でも汗かいてるからあんまり……」
彼女の注意も聞けず耳朶を食んだ
「……い、言ってる側、から……っ、舐めないでよ」
彼女は肌と声をひくひくと小さく震わせる。
調子に乗った俺は、首筋まで彼女の汗の匂いや熱を堪能したあと、チュウッと柔らかな桜色の唇を啄んだ。
「では。いってきます」
わざとらしく眼鏡を軽くかけ直したあと、ジャケットを正す。
彼女の頭を撫でてからリビングを出ようとすると、ジャケットの裾を遠慮がちに引っ張られた。
振り返ると不満気に彼女が俺を睨みつけている。
拗ねてむくれた瑠璃色の目がいわんとすることを察した俺は、緩んでいく口元を押さえた。
「どうしました?」
「そんなヤリ捨てみたいなのはヤダ」
「……その、人聞きの悪い言い方。やめましょうか……」
なんで俺が捨てる側なのか。
そんなもったいないことするか。
「ちゃんとキスして」
目だけでなく口でもしっかり煽ってくる彼女に、俺はしっかりとうなずいた。
「仰せのままに」
彼女と正面からきちんと向き合って唇を重ねる。
我慢ができなくなる前に唇を離して、彼女の火照った頬に触れた。
「いってきます」
「ん。いってらっしゃい」
甘やかに咲いた彼女の笑みに見送られて俺は家を出た。
『一輪のコスモス』
10/11/2025, 12:05:19 AM