もしもあの時、と、不意を突かれることがある。もしもあの時こうしていれば、ああしていなければ。そんなもしもは虚しいものだと分かっていながら、だが、確実に思ってしまう。考えても望みのないこと。それを思うことに対して、いつからか、なんとなく、じぶんも含めて、ひとは冷ややかな態度をとる、無駄だという、非効率だという、いわなくてもはじめから決まっていることだと、している。なんだかそれはそれで雑だな、と思う。もうひとつの可能性についてあれこれ馳せるのは、もしもがよぎるのは、あの時を悔いるのは、たんなる過去への執着心で、生産性のないもので、それで? それで、なんなのだろう。なんなのかわからないのなら、まだ、もしもあの時、を掬いだし、もうひとりのじぶんを夢想するほうが、じぶんにとって誠実なこともきっとあるはずだと思った。タイムマシンに乗る前に、もしもあの時、の分岐点に立ち戻って、もうひとつの人生を思うこと。その気持ちに正しく乗ること。
7/22/2021, 1:36:46 PM