泡藤こもん

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姉は、博愛の人だった。
困った人がいればすぐに駆け寄り、迷子を抱き上げ、誰にでも微笑みを向けた。
容姿が優れている訳ではなかったし、勉強や運動に秀でている訳でもなかった。
それでも両親にとっては評判の良い自慢の子で、何かにつけては比較される私としてはあまり面白くなかった。
「お姉ちゃんはみんなに優しいけど私には優しくないね」
いつだったか、ふたりきりの子供部屋で電気を消してからそんなことを言った。確か、読んでいた本が面白いところだったのに「夜更かしすると明日起きれなくなるよ」「早起きして読めばいいじゃない」なんて笑われながら電気のスイッチを押されたのだ。
くすくす、と姉の忍び笑いが漏れた。
「ばれちゃった?」
でもね、貴方にだけ優しくない訳じゃないんだよ。私は誰にも優しくないんだよ。
道で転んだ人に手を貸すのはお礼にお小遣いをくれることが多いからだし、迷子の子は近所の人の顔見知りだったりして私の評判を良くしてくれる。愛想笑いをしてれば、つっけんどんな態度の人も拍子抜けするのかそれなりの態度を取るようになる。
「私、明日日直だから登校が早いんだ。だからちょっとでも早く寝たい」
少しだけ気まずそうに早口で言うと、姉はすぐに目を瞑って寝息を立て始めた。
姉のたちの悪い冗談だと、私は恐る恐る彼女の顔を覗き込む。
寝顔すら「いつもにこにこしてて可愛いねえ」と評判の良い、微笑みの形だった。

まるで夢のようなそのやり取り一度きり、姉は「本性」をさらけ出すことは二度と無かった。例え陰口を叩くような輩がいたところで、長年培われた姉の人柄への信頼には到底勝てやしなかったし。
彼女があっけなくその生を終えてしまって、遺言通りに体の様々な部品が様々な人へ贈られても。
私は彼女の「私は、私にしか優しくないんだよ」の言葉が本当か嘘か、分からないままでいる。

7/26/2023, 6:00:22 PM