理想のあなた
三両目、真ん中のドア付近。それがあなたの定位置。ホームにやって来る時間もいつも一緒。土砂降りの日でも、それは揺るがない。
髪に寝癖はなくて、起きたばかりの顔なんて、もちろんしていない。制服の着こなしも、いつだって乱れはない。
名前も知らない、だけど電車でよく見かけるあなた。毎朝じゃないのは、わたしが乗り遅れて次の電車になってしまうことが、ちょくちょくあるから。
きっと、あなたは休みの日でも平日と同じ時間に起きているのだろう。今日は休みだからって、ベッドの中でだらだらとスマホをいじったりなんてしてないだろう。
わたしも、名前も知らないあなたみたいになりたい。
「最近寝坊しなくなったな」
わたしより早く家を出る父が、感心したように言う。
「前よりずいぶん綺麗に片付けてるね」
わたしの部屋をのぞき込んだ母が、感心したように言う。
それ以外にも、色々ときちんとしてきたと、ほめられる。それもこれも、三両目のあなたがきっと送っているであろう生活を思い描いて、実行しているから。
髪型も、あなたに似せようと思ってるけど、まだ実行に移せていない。
身だしなみはいつも完璧なあなただけど、その髪型は、あなたにはちょっと似合っていない、と思えるから。
そうだ。だったら、わたしがあなたにきっと完璧に似合う髪型にすればいい。わたしは、あなたと同じような印象になるメイクをしているから。
髪型は、思っていたとおり完璧だ。月曜日、三両目の真ん中のドア付近にいるわたしを見たら、あなたは驚いてくれるかな。そして、わたしと同じような髪型にしようと思って――。
ドアが開いて、あなたが乗り込んでくる。時間も乗車位置もいつもと同じ。だけど、髪は乱れていて、目元は泣きはらしたばかりみたいになっていた。制服も、月曜日だというのにしわが目立つ。
どうしたの。何があったの。そんな姿、わたしの理想のあなたじゃない。
火曜日も、水曜日も、目元こそ泣きはらしてはいなかったものの、わたしが追い求めてきたあなたの姿ではなかった。
そうのうち、いつもの時間には見かけなくなることが増えた。次の電車に乗っているのかもしれなかった。
わたしが理想としていたあなたは、もういない。
いつもの時間に電車に乗り、わたしはいつもとは違う駅で電車を降りた。そのまま、改札には向かわずホームにとどまる。
何本か電車を見送り、ようやく、ホームに求めていた人の姿を見つけた。階段を気怠そうな足取りで降りてくるあなた。髪型も髪色も化粧も制服の着こなしも、すっかり変わってしまったあなた。
白線の内側までお下がりくださいという放送が、ホームに響く。あなたは白線ぎりぎりのところで、スマホをいじっている。
わたしは、あなたの後ろに並んだ。電車の一両目が見える。わたしは手を、勢いよく突き出した。
5/20/2023, 3:04:10 PM