【大切なもの】
「あ〜……これからどうしよ……」
思わずボヤく。
箒、帽子、黒猫。それを一切合切盗まれたのだ。しかも旅先で。なんなら財布も着替えもやられてしまった。本当に、夕食を買いに出たほんの数刻の間にだ。
「今手元にあるのは……さっき買ったチーズとポテトを重ねたやつと、焼いたリンゴだけかぁ……」
宿の主人に文句を言って見たが、耳が遠いのでまったくとりつく島がない。うーん、と唸りながらポテトを齧る。窓を開け放ち、街を見下ろした。
食器洗いや掃除なら小銭が稼げる。宿代ともう少し稼ぎがあれば、赤土の焼き物瓶が手に入るだろう。宿の敷地内は手入れが悪くて鬱蒼としているが、あちこちから飛んできた薬草が自生してるの出入りの時に見た。宿代をケチったのが運の尽きだったんだなぁと思い返してしまうのを頭から追い払い、薬草の組み合わせを考える。確か街の裏手に森から来ている川もあったので、精霊の触れた水も手に入るだろう。傷薬、消毒液、貼り薬もいける。飲み薬はガラス瓶がないと厳しいが、ダンピングにならない程度の価格で直売するか、雑貨屋に持ち込めばある程度の金になる。
なんだかんだ金がいるんだなぁ、とポテトを食べ終えた指を舐めて、焼き林檎にも口をつけた。正直なところ、箒と帽子はどうとでもなる。あとで新しいのを作るなり買うなりして、魔術に晒すだけでいい。問題は黒猫だ。長年一緒に過ごしたノワール。彼女は優美でおとなしく、どこかちょっと抜けた魔女の背筋を正させるのに良い手本となる相手だった。
「ノワールだけでも帰ってこないかなぁ〜……」
魔女がそう言ってリンゴの最後のひとかけらを齧った途端。
「ナァオ」
と足元から声がした。思わず見下ろすと、そこには見間違えようのない、首に呪符を巻いた愛猫が座っていた。
「ノワール!」
思わず抱き上げる。猫も嫌がらずに頬を舐めた。見れば身体中ドロだらけだ。
「ナウ」
「あーホントごめんね」
ごつごつと頭突きをするのは親愛の証。とはいえ大変な目にあわせてしまった。
「ウゥナァア」
小さく唸る相棒に、魔女は肩を竦める。
「もちろん迎えにいくつもりだったわよ」
そ、と魔女の指先が猫の額に触れる。その額が僅かに波打つと、指がつぷんと毛皮の下に飲み込まれた。その、毛皮のさらに下にあるものを撫でるように指が動く。
「うん、魂は大丈夫そうね。これを取られたらことだもの。さすが、私の半身だわ」
「ンナン」
魔女が指を引き抜くと、その指先に僅かに青い光がまとわりついている。指を振ってそれを飛ばすと、魔女はうんと伸びをした。
「ノワールがいるなら慌てることないわね。じっくり路銀を貯めて、ついでに予備の箒を買って、そうしたら盗人を懲らしめに行きましょう」
「ナン!」
一人と一匹は愉快そうに笑いながら窓を閉じた。
4/3/2026, 6:05:11 AM