音ノ栞

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物心がついた時には僕は「天才」と呼ばれていた。

「若き天才ピアニスト」、それが僕の通り名だった。
その界隈では誰もが知っている小さなピアニスト、僕は同じ年代では金賞を譲らない無敵のピアニストだった。
僕はクラシックを愛していた。
四六時中クラシックを弾かされていた僕はそれが世界の全てだと思っていた。

ある年の夏だ。
僕が音楽に特化してる私立へ受験する年、小学生最後の夏のある日。
もうすぐ夏休みのあの日、僕は焦っていた。
ただでさえ委員会で放課後が遅くなっていたにも関わらず、クラスメイトの嫌な奴にノートを隠されて探すのに時間がかかっていた。
(……あぁ、どうしよう。母さんに怒られる……)
そう思いながら、教室中を探していた。
掃除ロッカーを動かした瞬間に、探していたノートが見つかる。
安堵してランドセルを背負おうとした瞬間、僕は立ち止まった。

──初めて聴く綺麗なピアノのメロディ。

弾けるような、そして柔らかな旋律。

僕は聴いた瞬間、胸を打たれた。

目を見開き、気づけば廊下を走っていた。
速く、もっと速く、あの音の近くへ。
僕は鼓動が高鳴った。
それは走っているからなのか、あのメロディへの胸のときめきなのか、分からなくなりながら。

あの音は音楽室から響いていた。
気づけば女の子が歌う声も混ざっていた。
練習していない歌声だが、美しい。
もっと磨けば誰にも負けない最強の美声になるだろう、子供ながらそう思った。
音楽室に入ると、女の子はピアノを弾きながら歌っていた。
楽しそうに、そして堂々としながら歌っていた。
時折揺れながら、彼女はピアノを弾き続ける。
僕は声をかけようとしたが、そのメロディが消えてしまうことが嫌だったので、その声を抑えた。
彼女が歌い終え、ピアノの演奏も終えると、僕は思わず拍手をした。
その瞬間、彼女はびくりとして僕の方を振り向いた。
「すごい……すごい!」
僕は思わずそう言って彼女に近づく。
「何なの、この曲!?誰の曲なの!?」
僕はグイグイとそう言うと、女の子は困ったような表情を浮かべる。
「……Tell Your World」
「え?てーるゆあ?」
「Tell Your World。初音ミクの曲」
「てーるゆあわーるど……はつねみく。はつねみくってすごい人なんだね!」
「人じゃないよ!機械だよ!」
彼女はそう言って微笑む。
機械?
「機械は歌わないよ?」
「機械というか……音声の入力?みたいな?」
「……わかんない」
「私もよくわかんない。でも、すごく綺麗な声なんだよ!」
僕はますます分からなくなった。そのためか、ずっと首を傾げた。
「……まぁいいや!それより、この楽譜、どこで買えるの?」
「楽譜……はわかんない。自分で勝手に弾いてるから」
「自分で、勝手に!?」
僕は驚きを隠せなかった。
「どうやって!?」
「何度も聴いた曲なら、なんでも弾けるよ!例えば……」
彼女はそう言って再びピアノを弾き始める。
今度はゆったりとした旋律が流れる。
「ゆうや〜けこやけぇの〜あかと〜ん〜ぼ〜♪」
彼女はそう言って歌い始めた。
「おわれ〜てみたのぉはぁいつのぉひぃか〜♪」
そして声と共にピアノも弾き終える。
「それは知っている!『赤とんぼ』だね」
「そうだよ!」
「すごいね!ピアノ習ってるの?」
「ううん。ここでずっと弾いてた」
「習ってないの!?」
「うん、うちはあんまりお金ないし!」
僕はますます彼女に興味が湧いた。
「僕もね、ピアノ弾けるんだ!だからね、友達になろ!」
「うん!いいよ!!」
彼女はとびきりの笑顔で返事をする。
僕は嬉しくて彼女と握手を交わす。
その日の夜は両親にこっぴどく怒られたことは言うまでもない。


あれから10年が経った。
僕は明日行われるコンサート会場の支度に追われていた。
そのステージに立っている。
「緊張しているのかい?若き天才ピアニスト君」
ふと振り返ると、女性が1人ニヤニヤしながら立っていた。
「そんなこと言うなよ、ボカロP」
「んな!?裏の顔を言うなよ!」
彼女はそう言って頬を膨らます。僕は微笑む。
「君がピアニストになっていればなぁ」
「しょうがないよ。うちにはお金がなかったし!まぁそもそも楽譜読めないしね!」
「でもボカロ曲ではバズったじゃないか」
「まぁねー!やっぱりミクちゃんの歌声はいいね〜!」
そう言いながら彼女は腕を伸ばす。
「……明日、楽しみだね。初めての単独コンサート」
「ありがとう。君にそう言ってもらえると嬉しいよ」
僕は彼女に近づく。
「……本当は君と演奏したかった」
「え〜本当?……じゃあ、もし私が自分で作った曲を自分の歌声で歌って売れたら、一緒にやろうか!」
「そうだね!そうしよう!」
「わお!随分やる気だね!」
「そりゃあそうだよ。だって、君の奏でる音楽とコラボできるなんて、これほど光栄なものはないよ」
僕がそう言うと、彼女は少し頬を赤らめる。
「て、天才ピアニスト君に言われるとなんか照れるねぇ。お世辞でも嬉しいよ」
「お世辞じゃない、事実だよ」
「ますます照れるねぇ。売れるかも分からないのに」
「売れるよ。だって、君の音楽は最強だから」
僕はそう言うと、彼女は笑う。
「君に言われるとやる気が出てくるわ!私、頑張ってみるね!」
彼女はそう言ってガッツポーズをした。
僕は笑いながら、彼女を見つめた。


──もっと君との世界を知れますように。



■テーマ:君の奏でる音楽


8/12/2023, 12:52:17 PM