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生きる意味

 YouTubeをほぼ毎日見ている。ここ何年か、数ヶ月に1度は思い出して見る動画がある。

 コモドオオトカゲ、別名コモドドラゴンの捕食シーンだ。

 3メートルもある巨大なトカゲで、とても獰猛な性格をしている。鋭い牙で噛みつき、そこから神経毒を流し込む。獲物は血が固まらなくなり動けなくなる。そこからは、この危険な爬虫類の一方的な食事タイムが始まる。

 牛のように自分よりも大きな相手の場合、横たわるお腹を食い破り、顔を突っ込んで内蔵を引きずり出して飲み込む。

 相手が自分以下の場合、シンプルに丸飲みだ。猿だろうが鹿だろうが関係なし。口からはみ出てなかなか飲み込めないときは、木に押し付けて口の奥に詰め込む。

 食事が終わると、でっぷりと大きくなったお腹を揺らしながらノッシノッシと闊歩する。あれだけ食べたのに、顔を見るとまた次の獲物を探しているように見える。底知れぬ食欲に圧倒される。

 衝撃的な捕食を見て、残酷だ、えげつないなという感情が少なからず湧き上がっていた。最初のうちは。

 不思議なもので、何回か繰り返し見るとそういった無情な思いではなく、どこか神々しく、そして美しく見えてきたのだ。

 彼らは、おそらくは、相手を苦しめて楽しもう、という感情はないはずだ。ひたすら、ただひたすら生きることに真っ直ぐなのだ。そのひたむきさが、眩しく見えてくる。自分にはそのひたむきさがないからか、余計に輝いて見える。


 もし生きることに意味があるのならば、どれだけひたすらに生きるか、ということに尽きるのではないか。コモドドラゴンは、意味など考えてはいない。ひたすらに生きる。ただそれだけ。ただそれだけでいいのだ。

 ただそれだけになりたい。

 

4/27/2024, 11:23:59 AM