香る夢

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あたしは、ゲームをしながら現実逃避している。

あたしは、学校に行ってない。
なかよしグループの実桜とケンカして、嫌な気分になった。そしたら、だいっきらいな担任のオノヅカに怒られて、ますますいやになった。
そのあとの体育の高跳びは大失敗したし、次の日学校に行ったら、実桜に無視された。その次の日も。

そうしてるうちにどんどん嫌になってきて、毎日頭が痛くなるようになった。
病院に行ったり、薬を飲んだり、つらいときは保健室に行くようにしたけれど、治らなかった。

朝必ず頭が痛くなるし、夜も明日のことを考えると痛くなる。
そんなことは望んでないのに。
学校に行かなくちゃいけないのに、頭が痛い。痛くてこわい。
あたしはめそめそ泣くようになった。それが嫌で、もっとめそめそするようになった。

ついに学校に行ったら熱がでちゃうようになり、帰ってきたら下がるので、おかあさんと先生が困ったように話をしてた。
ジリツシンケイとか難しい単語が何度もでたけど、よくわからない。とにかく頭が痛くなるのが嫌だ。


お母さんが、学校を休んでいいといった。ほっとして、何日間か休んでいたけど、だんだん不安になった。でも行きたくない。

それであたしは、現実逃避している。
現実逃避っていうのは、お兄ちゃんから聞いた。お前、ゲンジツトーヒしててもどうにもならないぞって。
意味がわからないから聞いた。現実逃避っていうのは、やらなければならないことから、イトテキに目を背けること、みたいな意味らしい。
イトテキってのは、わかってて、ってことかな。
その通りだと思った。


お母さんが、心配そうな顔しかしなくなったのも知ってるけど、あたしにもどうにもできない。頭が痛くなるのさえなければ、学校に行くのに。嫌だけど。



そんなある日の朝、あたしは登校するかどうかをお母さんと話し合った。

あたしは突然、びっくりするくらいにスイッチが入ってしまって、泣きじゃくった。
学校が嫌いなんじゃない。でも怖いんだ。

行ったら、また頭が痛くなる。
そしたら先生に言わなきゃいけなくなる。
誰もそんな子いないのに、毎日頭が痛くなるなんて。
みんな変に思うよ。思ってるよ。あのときまでは、普通に行けてたのに。

どうして?なんでみんなと同じくできなくなったの?わからないけどこわいよ。なにが怖いのかもわからなくてこわいよ。
そういって泣いた。

そしたらお母さんは、言った。

「いいんじゃない。私だって、立ち止まることがあるから。」

涙でぐしゃぐしゃの顔をこすって、あたしはお母さんにきいた。
「どんなとき?」

「そうだなぁ。失恋したときは、しばらく恋なんかできないって怖くなったよね。恋愛から遠ざかったり。
いじめられて仕事を辞めたときは、しばらく働くのが怖くて休んじゃった。
夜中に飛び起きて、悩んでの繰り返しだった。

大好きなおばあちゃんが亡くなったときは、おばあちゃんを思い出すものを、なんにも見られなくなった。

自分が辛いとき、最高に傷つく言葉を言われたときは、何年も恨んだっけ。その相手とずーっと仲良くできなかったなあ。

台風で、ひどい被害にあったときは、そのあと何年も風が怖かった。少し風の強い日は、耳栓しないと過ごせなかったりね。

まだまだあるよ?」

「そんなに…?」

「そうだよ。いやなことがあったとき、立ち止まるのはみんな一緒。

立ち止まる場所も、時間も年齢も長さも別々だけど、みんな一緒だよ。

ふつうに過ごしてるようにみえたって、その人のなかでは、なにかに立ち止まってることもたくさんあるよ。
大人だって子どもだっておじいちゃんだっておばあちゃんだって。
もしかしたらお友達や、先生たちだってそうかもね」

「そうかな」

「うん。今回美優は、ここで立ち止まったけど、焦んなくたっていいよ。
みんな一緒だから。ゆっくりやってけば、また歩き出せるよ。
美優が歩き出したいと思ってる限りは。

私は、美優が歩き出すのを手伝いたいな。美優のことが好きだから。
つらそうな顔より、笑っててほしいから」

お母さんは、あたしの頬を優しくなでた。

「美優がどうしたいか知りたいな。フツウって美優は言うけどさ、私は、美優をフツウにしたいわけじゃないから。
美優がしたいことを知りたい」

お母さんはそういって笑った。



次の日あたしは、ランドセルを持って居間に行った。

「…一時間だけ行ってみようかな」

お母さんは、なんでもないことみたいに言った。

「あ、そう?いいんじゃない?美優がそう決めたなら。いつでも迎えに行くよ。気分が乗ったならトライしてみな、人生はいつだって立ち止まれるんだから」

やっぱり頭は痛いから、頭痛薬は飲んだ。
でも、一時間だけなら。

「頭痛くなったら、保健室に行ってもいいんだよね?」

「いいじゃん。」

「つらくなったら帰ってきても?」

「いいよ。迎えに行く。帰ってきたらゲームしよう。私の仕事終わってからだけどね」

「大丈夫かな」

「大丈夫だよ。てか、大丈夫じゃなくて大丈夫。」

お母さんはにっこり笑った。

「私が立ち止まったときは、応援してね。
今は私が、美優を応援するね」

そう言われて、なんだか気持ちがしゃっきりした。
そっか、あたしも、誰かの応援、できるのか。

「立ち止まることを知ったら、立ち止まってる人の気持ちが少しわかるようになるよ。美優、素敵な子になったね」

涙が引っ込んだ。

とりあえず行ってみよう。

あたしも、誰かを応援できるようになりたいから。


帰ってきたらまた、ご褒美にゲームしよう。

そう思いながら、あたしはそっとゲンジツに足を踏み出してみた。

2/27/2024, 2:36:24 PM