kiliu yoa

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人には、誰しも踏まれたく無い花があると私は思う。

俗に云う、地雷というやつだ。

地雷とは上手く言ったと思うが、

私は花の方が聞こえが良いので、今回は花という言葉で表そう。

これでも私は、それ也に人の花を踏まずに生きてきたつもりだ。

何故、花と表そうかと思ったかと云うと、

今回の題がフラワーだった事は勿論、

私にとって花とは知らぬ内に、気付いたら咲いている事に起因する。

皆、知らず識らずの内に花という名の触れられたくない、

他人には、同じ経験をしていない人間には、

踏み込まれたくない領域があるのでは?と私は考えている。

何故なら、私自身、そういう領域があるからだ。

私も気をつけてはいるのだが、どうにも感情的に成ってしまう。

きっと、それは今の私を形成する、要因の一つだからなのだろう。

だから、それを否定されては、今の私が崩れてしまいそうで、

私という名の根底的な価値観が壊れてしまいそうで、

今の私は、それが恐ろしく怖いのだと思う。

だから、きっと触れられたくないのだろうと私は思う。

誤って、もしくは、意図的に、その花を踏んだのなら、

その後は個々の想像にお任せしよう。

私の考えでは、良くも悪くも元の関係には戻れないと考えている。

まあ、私はその花をあまり踏んでいないから知らないけどね。

その花を踏みたく無い、そう考える方々には、ある言葉を贈ろう。

『世界には数え切れないほどの花があり、

 例え、その花の美しさが私には理解出来なくとも、その花は美しい。』

今回は花に擬えたが、花でなくも良い。

肝心なのは、その人が紡ぐ言葉、文章、話に興味を持つこと。

少しだけでも頭の片隅に意識すると良いと、私は思う。

言葉は正確に使う方が好ましいが、

言葉とは人によって意味合いが変わるものだと思う。

欲を言えば、言葉としての意味合いよりも、

その人が紡ぐ思いを見て欲しいな。


ここまで、私の思いの丈を聴いて下さり、ありがとう。

では、又、お会いしましょう。

4/7/2025, 1:00:16 PM