……もう、いいかな。
強い失望感を抱いて、彼女はベンチから立ち上がった。
左手に持つ、大きめの紙袋がやけに重い。
紙袋は先刻、お気に入りのお店で購入した、この先の季節に向けたオフィスカジュアルの服が二着入っているだけ。
これ、という服が見つかって気分も明るく。
重さなど感じるはずは、ないのに。
彼女が歩を進めようとした瞬間。
傍らでスマホをいじっていた、彼は。
街路樹沿いのベンチから、慌てたように立ち上がった。
「もう、行く? あ——荷物、持つよ」
顔色をうかがうような彼の目つきに、彼女は知らず眉間にシワを寄せた。
……何なの、今更。
買物で少し疲れたから休みたい、と言ったのは彼女だった。
その界隈には、話題のドリンクや食べ歩きできる間食などの屋台めいたテナントが並んでいる。
一つずつ選んで、分けっこしようよ。
そんな彼女の提案を、彼は面倒そうに肩を竦めて一蹴した。
「どうせこのあと食事行くんだし、今じゃなくていいじゃん」
俺は別に疲れてないし、と半ば投げやりのように彼は傍らのベンチに腰を落とした。
休みたいなら、休めば?
暗に態度で示し、彼はポケットから出したスマホに目線を移した。
ゲームのアプリ、幾つか。
空き時間で適当に遊んでいるらしい、それらゲームアプリの情報を載せているサイト巡回。
隣にいる彼女のことなど、見向きもしない。
……いつから、こんな風になったんだっけ……。
街路樹から降り注ぐキラキラした木漏れ日を見上げ、彼女は思う。
昔は、何でも一緒に。
興味ないことでも、相手が興味あるならと一緒にやって。
ただ、笑ったり。
感想ともいえぬ一言を交わしあったり。
一緒に過ごすことが、何よりも楽しくて——幸せだった。
でも、今は。
……隣りにいても。
こんなにも、遠い。
二人でいる時の方が、独りでいる時よりも——寂しい。
……もう、これは。
歩き出す時なんだ、と彼女は悟った。
ひとりで。
「私の荷物だもの。一人で持てるから大丈夫。
……ごめんなさい、用事を思い出したからもう帰るね」
「え——?」
きょとん、と。
子犬のように首を傾げる彼を、一瞥だけして。
彼女は路上を進み始めた。
『荷物、持つよ』
昔、言ってくれた声の優しさの面影はなかった。
うがえば欺瞞とも、取れなくもない声だったのに、同じ言葉のせいで過去がよみがえる。
——でも、欲しいのは『言葉』じゃないもの。
涙を飲むために口端を、噛んで。
彼女は背筋を伸ばして歩くのだった。
5/3/2024, 6:40:13 AM