ゆかぽんたす

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「そんなに見つめられると緊張しちゃうな」
ややおどけて先輩が言った。私に見つめられても緊張なんかしないと思う。先輩は注目されることに慣れてるから。何でもできて、誰からも好かれる人だから。
相変わらずじっと見る私。先輩の顔というより彼の指先を。その10本のしなやかな指は、これから白と黒の鍵盤の上で踊りだす。
「じゃあ弾くね」
演奏はささやかな音で始まった。優しい指遣いで繊細なメロディーを奏でてゆく。まるでピアノが喋っているみたいに。先輩のこの才能を、誰もが羨み尊敬している。流れる音楽が心地よくて私は椅子に腰掛けたまま目をつぶって聞くことにした。先輩の演奏姿を見つめながら聞き入るのもいいけど、今は音だけに集中したいと思った。だから視覚を閉ざすことにした。
この曲は最初から最後まで同じテンポで進んでゆく。ゆったりとしていて心がとても落ち着く。先輩が弾くとヒーリング効果が凄すぎてうっとりしてしまう。
曲の終盤になって、私はゆっくり目を開けた。真剣な顔で楽譜を見る先輩の横顔がそこにあった。いよいよ曲も終わり。なんて名残惜しいんだろうと思った。ずっと聞いていたいと心底思う彼の演奏。音楽が止まって先輩の手はピアノから離れた。私に向き直り笑顔を見せてくる。反則だ。
「どうだった?」
「最高でした」
私は実に捻りのない感想を述べる。仕方ない。先輩のピアノにはいつも圧倒されて言葉が出ないのだ。代わりに出るのは涙だった。感動して泣けるって幸せなことだなと思った。

3/29/2024, 2:34:55 AM