しあわせとは〝幸せ〟と書いたり〝仕合せ〟と書いたり様々だが .... 昔、仏壇仏具販売店のCMで ....
〝 手の皺と皺を合わせてしあわせ ... 〟
こんなセリフが巷を席巻したが ....
.... ならばしあわせに到達する前には皺を寄せるわけであって、皺を寄せて、寄せて、合わさった時にしあわせとなるのであろう。
仏教では左手を自分、右手を御仏様と考え定めているのだが .... その左右の手を合せる合掌というのも一つの密印であるのだが .... これ、この合掌という密印 ... これを行ない乍ら人の話を聴くと、その話以外の雑念が完全消滅して佳く深く話を理解出来るのである .....
(※フザけた気持ちで行わなければね。フザけなくても興味が無い事柄だったり価値観等が真逆だったりの人の話は聴けなかったりするものなのだがこの合掌という密印は其れを克服してくれるのである。)。
そしてこの合掌の姿を ......... 🙏
〝 祈 り 〟
..... という。
祈りは祈りとは所謂 〝 意 〟の〝 理 〟であり .....
祈るとは立つ日のこゝろに乗る ....
そういう事なのだと私は信じている。
そんな風に私は自分を削り落とし乍ら己の何もかもが無くなるゼロになる時を夢見て憧れて急いているような気がします。
8/8/2024, 1:22:57 PM