どこかにいるかもしれない高校生

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奇跡をもう一度

「奇跡」とは何なのだろうか。
「マジ奇跡だわ」なんていう言葉を簡単に口にするけれど、『常識ではありえない、不思議な出来事』なんてそうそう起こるものではない…と思う。

「奇跡」というとプラスなイメージがあるけれど、『常識ではありえない、不思議な出来事』ならば、少しよろしくないことでもいいのだろうか。
まあ、もう一度と願うことはないのかもしれないけれど。

その意味で言うと、私の人生に一度だけ、「奇跡」と呼べる出来事があったかもしれない。
小学校4年生の夏休み、私は田舎で神隠しにあった。
信じていただけないだろうが。
旅行中、トイレから戻ったら両親がいなかった。
かわりに着物を着た長い髭のおじいさんがいて。
両親の居場所を尋ねたら、獣道を指差して「あっちに行ったよ」と言われた。
さすがに怖くて、借りてた自転車のところまで行って待ってたら、5分ぐらいして両親が駆けてきた。
「どこ行ってたの」と半ば責めるように聞いたら、「こっちのセリフ」と言われた。
両親はどこにも行ってなかったらしい。
あの時、もし自分が恐れ知らずで、獣道の方に両親を探しに行ってたら、、、とよく考える。

実を言うと、私はこの奇跡をもう一度、と思っている節がある。
「人生の好きなタイミングに戻れますよ」と言われたら、迷わずこの瞬間を選ぶだろう。
まっすぐ獣道の方に突き進んでやるのだ。
またはそうだな、おじいさんともっと沢山色々なことを喋ってみてもいいかもしれない。

いい歳してそんな妄想をひろげているが、私に霊感などというものはないから、多分また行っても無理なんだろう。
あのときは、たまたま何かの波長が合ったに違いない。
少し寂しい気もするが、それも運命だ。

またいつか、もう一度、と思える奇跡に出会えるだろうか。
自分がこの世にいることが奇跡なのでは、というのは一旦置いておいて。

10/2/2024, 11:37:47 AM