なのか

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生まれてこの方、雪なんて見たことなかった。
「そっか。こっちじゃ降らないもんね」
菅原さんは窓の外を見ながらそう言った。彼女の出身地では、雪が降り積もっている季節だ。
「今日でも割と寒い方ですよ。こっちでは」
「私だって寒いよ? 風が冷たくて痛い」
「そうなんですか」
菅原さんは湯気の立ったコーヒーをかき混ぜながら「そうだよ」と言った。
「雪が降る。って、どんな感じです?」
カップに軽く触れる。ホットココアはまだ飲めそうな温度ではなかった。
「どんな感じって言われてもなぁ。私にとってはそれが当たり前のことだったし」
「それもそうですね」
「強いて言うなら、『鬱陶しい』かな」
鬱陶しい、か。まぁ、それが雪国出身の人達の本音なのかもしれない。少し寂しさの残る結論だけど、寂しさを感じるのは、知らない人間の身勝手さだ。
渋い緑色のエプロンを着けたウエイトレスが、パンケーキとワッフルを運んでくる。お礼を言ってお皿を受け取り、菅原さんの方へワッフルを置く。
「美味しそうだね」
言葉には頷きを返した。手を合わせて相手を伺う。視線でタイミングを測りながら、いただきますと声を合わせる。雪国出身でも島国出身でも、このくすぐったさは同じなんだろうか。
「雪、見てみたいの?」
パンケーキを食べ終えて、菅原さんがワッフルを頬張るのをぼんやりと眺めている時だった。
「そう見えました?」
「ちょっとだけ、感じたかも」
もう温くなったコーヒーを、菅原さんは優しくかき混ぜた。別に飲みたくなったわけじゃないのに、ホットココアに手を伸ばした。
「違う世界。って感じがするんです」
そこかしこに雪が積もって、歩くと足が埋もれていってざくざくと愉快な音を立てる。視界は真っ白に染まって、吸い込む空気の冷たさに冬の厳しさが混ざっている。
「でも、今はニュースで見られますからね」
雪かきの大変さを語る大人達と共に。それにがっかりしなくなったのは、自分も子供ではなくなってしまったからだろう。
「ここは、海が綺麗だよね」
「ですね」
菅原さんは何故か笑った。
「塩害がーとか、きっと君は言わないんだろうね」
「それは、海の美しさを否定することにはならないですからね」
「そっか、そうだよね」
菅原さんは何かに納得して「そろそろ出よっか」と言った。ごちそうさまも忘れずにしてからカフェを出た。
「君はさ、私のことどれくらい好き?」
次の目的地は少し遠くにある。そこまで一本で行けるバスを求めバス停探しの旅をしていたら、菅原さんが突然そう言った。繋いだ手が、少し強く握られた気がした。
「どれくらい、ですか」
「例えばさ」考える暇を与えずに、菅原さんは続けた。
「来年の今頃、私の故郷に一緒に行こうよって言ったら、ついてきてくれるくらいには好き?」
そう結ばれれば、言いたいことは伝わる。
「菅原さんが一緒なら、どこにだって行けるくらい、です」
どこまで行けるくらい好きだろうと考えたら、地球を一周した。どれくらいと聞かれれば、そう答えるしかなかった。
「南極とかも?」
訂正、南半球は想定外だったかもしれない。
「……善処します」
菅原さんは満足そうに笑った。とりあえず、防寒具を買い揃えないといけないなと、雪景色の中に立つ自分を想像して、そう思った。

1/8/2024, 1:58:27 AM