誰かの為にといっても結局は自分の為
批判的な意味も含めてそんな主張はありふれている
人間の根源にエゴがあるのだから何を今更感が否めない
自分の為にやっているから優しさではない偽善だ
こんな風に優しさと善性を持ち込むから話が拗れる
それらの概念は社会秩序を保つ為の概念であって
どんな意図や目的で行為をしたかはそんな重要じゃない
優しさや善意を持っている"ように見える行為"が重要で
別にそれが本心であるかなどこだわらなくてよいのだ
エゴイズムに従って見返りを求めて優しいふりをする
別にそれ自体はまったくもってなんら問題ない
優しいふりも優しいということに変わりない
相手や自分を騙しているようでどこか気持ちが悪い
そんなふうに感じるならさっさとその行為をやめればいい
やめて事態が改善するのか悪化するのかを知ればいい
恐ろしいほどに自分の内心とは関係なく物事は進む
自分の中の善性にどこまで拘っても悪いやつは消えない
"善人は報われない"ようなことを言いたいわけじゃない
その善悪という概念を自分の価値軸とは分離することで
あくまで社会的なものであると捉えてほしいのだ
善悪を含め倫理的な概念たちは強迫観念に近い
だからこそ少し離れて冷静に見つめる必要がある
そしてその位置から改めて独自の善を目指せばいい
独善とは違う再解釈された善を目的地へ
7/26/2024, 4:30:28 PM