世界は不条理で満ちている。
『天は人の上に人を作らず』とは言うけれど、世の中には不公平や不平等が当然のようにまかり通っている。
偉い人たちは平等公平を叫ぶけれど、一向に不条理は無くならない。
いったい彼らは何をしているのだろうか……
彼らの怠慢のしわ寄せが、私に不条理として襲い掛かっていた。
「お前は追試だ。
赤点だったら、春休み返上で補習な」
どこか疲れ切った顔をした担任から告げられる、無慈悲な宣告。
私は陰鬱な気持ちで、その言葉を受け止めた。
春休みは、一種の天国だ。
世の学生たちが聞けば、誰もが狂乱して喜ぶだろう。
かくいう私も胸が高鳴る。
夏休みほどじゃないけれど、春はイベントが目白押しなのだ。
なのに、なぜこんな事になってしまったのか……
確かに勉強は苦手だけども、赤点回避のために頑張った。
なのに、私に突き付けられた『追試』という現実。
やはり世界は不条理に満ちている。
そんな事を考えながら自分の席に座ると、隣の席の沙都子が意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「バーカ」
とても傷心の友人に掛ける言葉とは思えない言葉。
沙都子の悪口はいつものことだけども、今日はことさらに堪える。
でも泣かないよ。
だって私は悪い事をしていないもん。
「百合子のことだから、どうせ徹夜でゲームでもしていたんでしょ?」
なんという言いがかりであろう。
確かにゲームは好きだが、徹夜なんてしていない。
自らの名誉のためにも、間違いは正すことにした。
「沙都子は見くびっているね。
長年のゲーマー生活で培った、私の自制心を!」
「具体的には?」
「ゲームは寝る十分前まで。
時間管理は完璧さ!」
「……で、勉強したのかしら?」
「……5分だけ」
「バーカ」
沙都子は、まるで路傍のゴミでも見るかのような目線を送って来る。
長い付き合いだから分かるが、これは本気で路傍ゴミと思っている目だ。
この目を何度も見たことがあるから間違いない。
……ちょっとだけ泣きそう。
「で、どうするつもり?
わざわざ春休みに学校に来たくないでしょ?」
「当然だね。
こうなっては万難を排するべく、やりかけのゲームをクリアするよ」
「なんでやねん!」
沙都子の口からコテコテの関西弁が!?
付き合いは長いけれど、初めて聞いた。
「ねえ、冗談よね。
冗談と言って!」
「凄い心外なんだけど!
なんで本気でドラクエをやると思われているの!?」
「日頃の行いよ!」
ぴしゃりと言い放たれる。
「前々から思っていたけど、アナタ、よくこの学校に受かったわよね。
百合子ってば、けっこう運がいいのかしら?」
「当てずっぽうじゃないやい!
ちゃんと勉強して、実力で合格したんだよ」
「実力……
ああ、替え玉試験!」
「……私ってそんなに信用ならない?」
想像していたよりも、ずっと低い信用度で少し悲しい。
というか、それを面と向かって言うかね。
私たちは親友だと思っていたけど、認識を改めないといけないかもしれない……
「長い付き合いだけどさ、アナタが勉強に本気出すところ見たことないのよね。
合格したって聞いた時、耳を疑って耳鼻科に行ったわよ」
「そこまで!?」
「あと警察に連絡すべきか迷った」
「ひどい!」
まあ、確かにそう思ってしまう位には、私の成績は悪いけども。
両親ですら、あまりの衝撃に熱を出したからね。
「まあいいわ。
とりあえず、勉強を頑張った仮定で話を進めましょうか?」
「仮定で進めないで」
「それで、なぜ頑張ったのかしら?
勉強嫌いでバカなアナタが勉強するなんて、よっぽどの理由があったんでしょうね」
「一言多いなあ……
それで理由だけど、それはこの学校の学食を食べたかったからだよ」
「……ふぇ?」
予想外だったのか、沙都子は変な声を漏らす。
今日は『初めての沙都子』をよく見る日だなあ。
「『進学は学食の美味しいところ』って決めててね。
それで、自宅から通えそうなところがここだったの。
あの時は人生で一番頑張ったよ」
「食欲だけで、受験を乗り切ったの……」
「何言っているのさ。
人間は食事をしないと生きてはいけない。
科学や社会の発展だって、そもそもは食料を効率的に安定して集めるためにあるの。
食事のためなら、不可能を可能にするのが人間なのさ」
「くっ、食べ物が絡むと、急にIQが良くなるわね……」
「そういえば、今日の食堂は『お代わり無料』の日だったね。
よーし、記録更新しちゃうぞ!」
「一瞬でIQが溶け落ちたわ……」
「なにか言った?」
「なんでも」
何か言いたげの様子で、頭を振る沙都子。
いつもなら歯に衣着せぬ物言いをするのに珍しい事だ。
「まあ、いいわ。
それよりも……」
沙都子は私の後ろに視線を投げかけた。
「――そういう事だそうですよ、先生」
「え?」
驚いて後ろを振り向くと、そこには補習を宣告した先生が私を見下ろすように立っていた。
相変わらず疲れたような顔をしてるが、目には怪しい光を灯し口元が微かに歪んている。
そのアンバランスで不気味な表情を見て、私は猛烈に嫌な予感を覚えた。
「先生は聖職者ですよね。
まさか、カワイイ生徒に罰なんて……」
「ほう、まさか学食禁止などと言われると思っているのかね?
そんな酷い教師に見えるのかね?」
「そんなことありません。
私は先生を信じています!」
「安心しろ、そんな事はしない。
近頃はすぐに『体罰だ』などとネットで炎上するからな」
先生の言葉に、ホッと一安心する私。
だが先生は、表情を変えず不気味に笑っていた。
「ところで、食堂には裏メニューがあるのを知っているか?」
「……へ?」
「いや、忘れてくれ。
お前には関係ない話だ」
「ちょっと待ってください。
うちの食堂に、裏メニューなんてあるんですか!?」
「忘れた方が身のためだ。
裏メニューは、成績優秀者にしか出されないからな。
お前には縁のない話だ」
「ちょ、ちょっと待って!」
「それこそ、テストで90点以上取らない限りな」
「……ッ!」
先生は手をひらりと振って、教壇へと戻っていく。
私はそれを黙って見送ることしか出来なかった。
そして思う。
大人ってなんて汚いのだろう。
私は勉強が嫌いだ。
だけど、『裏メニュー』と聞いて黙っているほどお利口じゃない!
私が道理を弁えているのなら、最初からこの学校に来てなどいないのだ!
でも現実は非情だ。
前回のテストで10点を叩き出した人間が、一週間後のテストで90点……?
無理だ。
そんなことが出来るなら、そもそも赤点なんて取ったりはしない。
自分の馬鹿さ加減に打ちひしがれていると、そっと肩に暖かい手が触れた。
顔を上げると、そこには聖母のような微笑みを浮かべた沙都子がいた。
「大丈夫よ、百合子。
アナタなら出来るわ。
さっき不可能を可能にするって言ってたじゃない」
「沙都子……」
沙都子が、力強く頷いた
「アナタなら、きっとお代わり記録の更新が出来るわ。
だから裏メニューなんて忘れて、今日のお昼に集中すべきよ」
慈愛に満ちた表情の裏で、沙都子の口角がぴくぴくと動いている。
私は確信した。
こいつ、一ミリも私のことを信じてない……
「ざけんな!
私はやれば出来るってところ、見せてやるよ!」
食堂の裏メニューは絶対に食べる。
沙都子の心底馬鹿にした顔を見て、私は固く決意したのだった。
3/24/2026, 1:19:29 PM