"目が覚めるまでに"
大我の手術後、ずっとソワソワしていた。
俺に切れないものは無い。無論、自分が執刀医として彼の手術を施したのだから、何の心配もない。いつも通り行えていれば、何も心配することは無い。だが状況が状況で今まで感じた事の無い、あの精神状態の下で施した手術というイレギュラーだ。、完璧に出来たとしても『それでも不完全だ』と残酷な形で告げられる。残酷な結果が下される可能性を示唆する様な考えが頭の片隅にチラつく。
それに大我は俺の恋人だ。外科には"身内の執刀をしない"という暗黙の了解が存在する。恋人というのは"身内"には入らないが、俺にとって大我は身内同然に思っている。
だから大我が目を覚ますかどうか、自分ですら不安で落ち着かない。落ち着かないから何度も何度も彼の横たわるベッドに足が向く。その度に確認したバイタルはいずれも正常値を示していて、胸を撫で下ろし部屋を出て自分の居るべき場所に戻る。ずっとこの繰り返しだ。このままいけば数時間後には目を覚ますだろう。それを信じて、彼が目を覚ます前にこのザワザワした気持ちを落ち着かせなければ。幸い予想した時間までは充分に余裕がある。
──その間にどうにかして心を落ち着かせて、彼の目覚めを待とう。
そう思うと脳裏に中庭の花壇が浮かび、足も自然と中庭を向いた。
中庭に着き、花壇に近付く。最後に見たのとは別の花が植えられていて、季節が移り変わったのを感じ胸がジクリと痛んだ。
花壇の前でしゃがんで花を見る。朝露を纏ってキラキラと輝きながら花弁がそよ風に揺れている。その綺麗な様に心が少しずつ凪いでいき、口角が僅かに上がる。
少し見惚れてしまった。立ち上がり戻ろうと身を翻し1歩踏み出すと、突然黒い蝶が現れてヒラヒラと優雅に舞いながら花壇の花の上に止まった。舞い踊る姿は優雅で自然と目で追ってしまう程美しく、黒い羽は角度によって違う色の光沢を放っていてまた美しかった。ふと、その羽に見覚えがある気がして記憶を遡る。その答えはすぐに分かった。
──あの人の髪だ。
大我の髪は動く度、サラサラと風になびく度に違う色の光沢を放つ。濡れ羽色で、数房混じった白髪すらも美しい髪。記憶を反芻していると、
──あの人が元気になったら、この花壇に連れて来よう。
ここの花達をしゃがんで見る大我の姿を想像する。その横顔は、優しさに溢れた素敵な微笑みを浮かべていた。すると想像の中の大我はこちらを向いて「綺麗だな。」と言う。
急に早くあの人に会いたくなった。再び身を翻し、踏み出す。あの人はまだ意識の海の中を漂っているだろう、それでも早くあの人のいる病室へと足早に1歩、また1歩と前に動かしていく。
少し前までわだかまっていた悪い想像など、とうに頭から消えていた。
8/3/2023, 11:01:50 AM