【遠くの空へ】
ガラス張りの天井から差し込む光は、白い床を柔らかく照らしていた。喧騒に満ちた空港の一角で、私は彼と並んで立っている。
(留学かぁ。イギリスなんて遠いよ……)
出発までの残り時間は、僅かだとアナウンスが告げていた。
「……案外時間なかったな」
彼は深く息を吐き、肩に掛けた革のバッグを軽く直した。
その仕草は落ち着いていて、見送る私の胸の奥だけが密かにざわめく。
子供の頃から憧れて、ずっと背中を追い掛けてきた。でも追い付けそうになると、引き離されてしまう気がする。
「身体に気を付けて下さいね」
自分でも驚くほど声が硬かった。彼はすぐに目を細めて小さく笑う。
「何で急に敬語になるんだよ」
眼鏡の奥の眼差しは優しい。
冗談めかした言い方なのにからかう気配はなくて、何故だか胸が苦しくなる。
「だって、私まだ高校生ですし」
「もう受験生、だろ」
彼は少し考えるように視線を落とし、それから私の髪を一房指先で軽くすくい、唇を寄せた。
「君は、もう子供じゃない」
ぽつりと呟くその一言に、胸の奥の苦しさが増してゆく。
(……どうしてそんな事言うの。今までずっと、“子供扱い”してた癖に)
問い掛けたいのに、勇気が出ない。代わりに、強く瞬きをした。
出発のアナウンスが重ねて響き、彼が搭乗口へと向かわなくてはならない時間が迫ってくる。
「もう、行かなくちゃですね」
泣かずに、笑顔で見送ろう。
そう思ってわざと明るい声で言い、顔を上げると、彼は真っ直ぐに私を見ていた。
「……日本に戻って来たら、もう一度話したい」
「話、ですか?」
「そう。君がもう少し大人になった時に、伝えたい事があるんだ」
心臓の音がどくん、と大きく鳴った。
言葉の意味を問い掛けたくても、彼の瞳の静かな決意に、言葉が喉の奥から出て来ない。
彼は大きな掌で私の肩を包み、握り込むように少し力を込めて、私を引き寄せた。
別れの代わりの、短い抱擁。
「じゃあ、行ってくるよ」
「……行ってらっしゃい」
彼が背を向け、搭乗ゲートへと歩き出す。人混みに紛れても長身の彼は凄く目立っていた。
姿が見えなくなるまで振っていた手を、私は胸の前でぎゅっと握りしめた。
(笑顔は無理だったけど、泣かずに見送れた)
窓の外、遠くの空へ向けて機体が動き出す。
もう二度と会えないわけじゃない。分かっていても、明日から彼がいない現実が一気に胸に押し寄せてくる。
それと同時に、視界が滲んで――結局、泣いた。
************
両片思いのまま離ればなれ、なイメージ
8/16/2025, 4:44:24 PM