22時17分

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変わらないものはない。
そう断言されると、変わらないものを探してみたくなる。
十歩ほどの歩行速度時間で、「変わらないものはない」というのが変わらない、くらいしか見当たらない。
これは変わらないものを答えた気になっていて答えてない。冬のなかに雪が見つからなかったので、冷蔵庫で製氷したようなはぐらかしだから、やはり変わらないものはないと断言してしまっても良い。


視界にあるものは日々刻々と変化している。
モノの最小単位は、原子・分子なので、これが微動として動かないというわけには行かない。
しかし、この微細な変化は、肉眼で判別できないレベルは無視してしまっても構わない。
この「無視」の度合いによって、人は、「変わるもの」「変わらないもの」を区別していると言える。

これは、時間単位が永遠かどうかでも関連してくると思う。ひと一人の人生についてか、人全体のみならずこの星について考えるまで引き延ばしていくとややこしくなる。
やはり時間は延ばしちゃいけない。500年後の未来なんて、僕らには関係のない話なのだ。

そもそも、僕らが目撃する(あるいは見えないが目撃しているはずの)変わるものを追いかけ続けることは多分に疲れるし、どこかで無理が生じる。
人生とは休息が必要だ。そのために変わらないものを見てぼーっとすることで安堵を会得している。
繰り返し訪れるモノに対しても「変わらないもの」と人は認識しているが、それは何度も来る規則正しいことに関してであって、本質は刻一刻と変わっている。
変わらないものは多数の奇跡と多数の時間、多数の犠牲の中で存在意義を発揮している。
……まあ、この考え方は真逆もあるけど。

秋冬は毎年訪れるが、毎年変わっている。
秋冬は毎年訪れることは約束されてないが、人は来るだろうと思い込んでいる。

どう書いたら良いかわからないが、まずは正答(=)を理解して、類似(≒)たちを見て、正しい(=)かどうか判断する。そういう回りくどい遊びをしたい生き物なのだろう。
そんなもの、前提条件によって答えの導き方が違ってくる。愚かな生き物だ。

12/27/2024, 12:08:11 AM