そらまめ

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「鳥のように」

今日も鳥は元気に、うるさいほどにさえずっている。

辛い仕事が終わり、帰宅ラッシュの満員電車も乗り越えて、俺は最寄り駅に到着した。その最寄り駅では毎夜街路樹に鳥の大群が群がっていて、俺はほとほと辟易している。数えきれないほど多くの鳥を含んでいる街路樹は、その真っ黒い影をゆらゆら揺らめかしていて不気味だ。鳥は迷惑だ。まず、うるさい。次に、朝出勤しようと駅に来ると道がフンでびっしりになっていて汚い。あと、なんかむかつく。

俺は毎日、死にてー、とつぶやきながら仕事を頑張っているのに、鳥はきっと死にたいなんて思った事は無く、自由に飛んで、さえずって、フンをしている。俺は人にどう思われているのか気になって仕方ないのに、鳥はそんなこと全く考えていないだろう。そのことがむかつく。そして、これは憧れでもあるんだろう。俺も仕事なんてしないでただ本能に任せて、何も気にせず、鳥のように生きられたらよかったのに。人間なんて全くくそくらえだ。世の不条理さに腹が立って、怒りのままにずんずん歩いていると、石に躓いてすっころんだ。かたくて鳥フンだらけの道に頭から落っこちる。


「いってぇ~……」


ぱっと起き上がれないくらい痛かったが、口から出たのは小さな悲鳴だけだった。こんな時でも、急に叫んだら変な人だって思われるかなぁ、なんて人の目を気にする自分に笑いが込み上げる。痛いときくらい思いっきり叫べよ。どうせ誰も俺の事なんて気にしてないだろ。現に人ごみの中でこんなに思いっきりすっ転んで痛そうなのに、みんな見て見ぬふりじゃないか。恨み節を吐くうちに、だんだん意識が遠くなってきた。どうも悪いところを打ってしまったようだった。人々の喧騒が聞こえなくなっていく。ああ、誰か俺のことを心配してくれればいいのに。そう思ったのを最後に、俺の思考はぷつんと途切れた。



「おーいこんないい天気の時に寝てんじゃねえよ、お前は誰が好きなんだよ!」


突然キンキンとうるさい声に怒鳴られ、何か硬くて細いもので腕を殴られて目が覚めた。


「うるさいな寝かせてくれよ、忙しくて恋なんてしてる暇ないんだよ」


イラっとして反射的に言い返してからぱちりと目を開け、俺は信じられない光景を見た。

まずここ、めっちゃ高い。俺は三階建てのビルくらい高いところにはってある細い糸の上に立っているのだ。こわ!そして周りは鳥だらけ。胸焼けするほどに鳥がいる。最後に殴られた腕を見てみると、そこに腕は無かった。あるのはふわふわした茶色い羽毛である。


「おい黙ってんなよ。お前それでも鳥か?鳥は一秒も休まずにしゃべってるもんだぜ」


俺に話しかけているのも鳥。どうやら俺は鳥になってしまったようだ。とんでもない事だが、俺は妙に冷静だった。多分これは夢だ。


「俺の一推しはあの子だな、ほら、あのひときわ毛並みのつやがいいメスだよ」


諦めずに話しかけてくる鳥が遠くを指さす。確かに他の鳥に比べてつやつやした鳥がいる。


「ああ……まあいいんじゃないの」


われながら気のない返事だ。でも俺は恋バナに全く興味がないのでしょうがないだろう。恋する気持ちは、つらくてたまらない仕事を何とかこなしているうちにどこかに行ってしまった。


「そんな返事ねえだろぉー⁉つまんねえな。お前は誰が好き……ってあっ、美味そうなもん見っけ!」


いうやいなやばさばさと飛び立った。やれやれ、忙しいやつ。鳥ってみんなこんな感じなのか。

俺はしばらくぼーっとしていた。俺がいるのは電線の上らしかった。鳥たちはあわただしく飛んで行ったり戻ってきたり、誰かと話していたかと思えば違う鳥と話し始めたりとせわしない。最初は引き気味で眺めていたが、どうせ夢なんだから俺も自由にやろうと思いついた。

とりあえず飛んでみる。思ったよりも気持ちがいい。次にちゅんちゅんと鳴いてみた。周りがうるさいので、心置きなく鳴ける。鳥たちは俺の事なんて全く気にしていなかった。かと思えば、初めて会う鳥がいつの間にか隣を飛んでいて勝手に競争になったりもした。相手がちゅんちゅんと話しかけてくるから少し話す。そしてまた違う鳥と話す。何をするにも自由な鳥の生活は気楽だ。



「あの、大丈夫ですか?頭思いっきり打ってましたよね。救急車呼びましょうか?」


気づけば、人のよさそうな、少し頼りない顔をしたスーツの若者が俺の顔をのぞき込んでいた。人間だ。やはり鳥になったのは夢だったのか。頭はまだずきずき痛んだが、気を失った時のようによくないところを打ってしまった感じはしなかった。


「大丈夫です。すみません、ご心配をおかけしました」


「いえいえ、無事ならよかったです。仕事終わりって疲れますよね。僕も何もないところでつまづいたことありますよ」


屈託なく笑う若者を見て、俺のすさんでいた心が澄んでいく。いたんだ。俺を心配してくれる人。

もしかしたら俺が人を拒んでいたのかもしれない。どうせ誰も理解してくれないし、変なことをしたら指をさされるって。でもそうではないことを鳥たちとこの若者が教えてくれた。


「そうなんです。疲れたのか、鳥になった夢を見ましたよ」


「あはは、いい夢ですね」


知らない若者とする世間話は意外と楽しかった。世界は思ったより悪くない。

8/22/2023, 9:03:38 AM