過ぎた日を想うためには、現在の時間を消費することになる。ただ、これだとつまんなすぎるなあ、と思ってしまったので、別のことを書くことにする。
例えば「過ぎた日」って何なんだろう。
まるで、過ぎた日は頭のなかにいつまでも記憶として残存しているようだと思ってしまう。
いつでも取り出せるタンス貯金のようなもの。
頭のなかに滞納された記憶をなぞり書きして幻想を生み出す。果たしてそうかな? それこそが幻想なきがした。
過去の時間はおろか、そもそも記憶なんて実はなくて、「過ぎた日を想う」ために、記憶と呼ばれる作り物を直前に生成しているのでは?
なんて思った。短期記憶も長期記憶も実はなくて、生成しているだけ。
本物の時間軸にはタイムマシンが無ければ戻ることができない。そのことを脳は結論付けているから、偽物を作ることにした。現代にパブロ・ピカソを召喚できないように、過去の自分も召喚できやしない。
若い頃は過去の時間を鮮明に覚えているような錯覚を覚え、年を取るごとに色褪せていく。
生成能力と再現能力が低下しているから、記憶は時間とともに劣化していくと思っている。セピア色になっていくと思っている。そのほうが理解しやすいから。
普段から生成に長けている者たちだと、いつも同じ過去の時間を想いたいと思う。
就活失敗や受験失敗した若者、挫折経験の末の引きこもり。
そいつらの目の前は真っ黒に塗りつぶされているからか、同じ時間・同じ量・同じ内容、いつも同じものを生成するので、脳はいずれマニュアル化し、慣れてしまう。
その単純化したものを、人は記憶と呼び、単純を通り過ぎて固着化したものを、人は過ぎた日の思い出と呼ぶのだろう。
10/7/2024, 9:54:01 AM