sairo

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軽い音を立てて、スマホがメッセージの受信を告げた。
ロックを解除しアプリを開こうとするも、画面は黒いまま。

とうとうきたか、と口元が歪む。
宿のチェックアウトは済ませたばかりだ。タイミングがいい。
暗い画面を見続けていると、画面中央に小さい何かが現れる。
おや、と首を傾げていると、その小さい何かは次第に大きく近づいて。


それが人の手だと理解したのは、画面をすり抜け腕を掴まれてからだった。

「なっ、え?まさか」

ぐい、と引かれて手がスマホに沈んでいく。振りほどこうにも思いのほか強い力に、逆らう事が出来ない。

「ちょっ、待って。これはさすがに」

想定外の展開に焦りが生じるが、時すでに遅く。
スマホに沈んだ手が何かに触れた瞬間。視界が一面黒に染まった。



気づけば、狭い和室の中心に座り込んでいた。

「なんだ、これ」

記憶にはない、殺風景な部屋。
掴まれたままの手に気づき視線を向けると、俯いて同じように座り込む屋敷の主。

「なにが、たりない。なにが。どれが。たりない。たりない。どうすれば」
「おい。ちょっと」
「たりない。なんで。どうして。たりない。まだ。たりない」

たりない、と只管に繰り返す。普段とは比べものにならないほど、無機質な声音。
俯いているせいでどんな表情をしているのかが、分からない。それが何より怖かった。

手を引いてみる。解けないと分かっているが、気づいてほしかった。
ただそれだけだったのに、するりと簡単に手は離れていく。
離れて、しまった。

「たりない。まだ。もっと、」
「足りないなんて、当たり前だろうが!自分勝手に進めてないで、ちゃんと俺の話も聞け。この大馬鹿やろう!」

思わず叫ぶ。
びくりと震える肩と、止まった言葉に、この際だからと思いの丈を吐き出す。
もう化かし合いだのなんだのと、意地を張る余裕はなかった。

「何で勝手にいろいろ抱えて極端な結論を出すんだよ。話さなきゃ分かるわけないだろ。変に疑って悩んだこっちの身にもなれ。さあ、望みは何だ?言えよ!妖が望んだっていいだろ。今ここで全部吐き出しちまえよ。そしたら俺が応えてやるから!」
「………なにそれ」

ゆらりと頭が上がり、感情の抜け落ちた虚ろな目がこちらを見つめた。
まるで幽鬼のようだ。思い描いていた予想と違う現状に、眉根が寄る。

「応えてやる?何言ってんの。逃げ出したのは一葉《いつは》なのに。今更どの口が戯れ言を言ってるんだよ」

くつり、と喉を鳴らし、口元が歪み笑みの形を取る。
馬鹿にしたような、嫌悪したようなその笑い方に頭に血が上るのを、どこか冷静に感じていた。

「俺は、俺に関係する隠し事をされるのが一等嫌いなんだよ!だから逃げ出した。全部ぶち壊してやった。ざまあみろ!」
「なら、俺さんと合一になってと言ったら、応えたわけ?命を削ってまで、誰かのために式を打つ一葉が?おとなしく俺さんの言う事を聞くのかよ」
「おとなしくは聞かない!何か癪だから、取りあえずは反抗する!でも気が済んだら、ちゃんと理由を言えば、一緒になってやってもいいよ」
「なにそれ」

どろりとした暗く濁った眼に、呆れが僅かに灯る。
だがだいぶ落ち着きを取り戻した屋敷の主とは対照的に、一度激昂した思考は簡単には戻す事が出来ない。

「大体他人のためだけに式を打つわけないだろうが、馬鹿!命を削る?そんな事、お前以外には絶対にしたくないね!お前のための式だぞ!お前に、褒めてもらうだけの、…あ、やべっ」

慌てて口を押さえるも、一度溢れ出た言葉は取り消す事が出来ず。次第に赤くなる顔を隠すように、膝を抱えてうずくまる。
やってしまった。屋敷の主の反応が気になる所ではあるが、今はまともに顔を見れる余裕はない。
いいわけと、どう誤魔化すかを必死で考えるも、何一つ良案は思い浮かばず。
悶々と考え込んでいると、小さな優しい手が頭に触れたのを感じた。

「一葉は俺さんに褒めてほしかったの?そういえば、寝起きで鶴を飛ばした時に感想を言ったらうれしそうな顔をしてたものね。すぐ赤くなって布団に隠っちゃったけど」
「うるさい」
「言ってくれればいいのに…いや、うん。俺さんも同じか。じゃあ、お互い答え合わせをしようか」

促されて顔を上げる。穏やかな、それでいて少し困ったような表情をして、両手で頬を包まれて眼を逸らす事が出来ない。
まだ赤みが引かない、情けない顔の自分を濁りの消えた眼の中に見て、さらに羞恥に顔が赤くなる。

「俺さんはね、一葉がほしいよ。人としての生を謳歌してくれていたのなら、見ているだけで十分だったけど、会う度死にそうな顔をしているんだもの。それなら俺さんにちょうだい?永遠に大事にしてあげるから…一葉は?一葉は何を望むの?俺さんに全部教えて」

屋敷の主の本心に、意味のない呻きが口から漏れる。
答え合わせだ。本心を語られたのなら、こちらも言わなければならない。そうは思っても、うまく言葉にならず。
そんな自分に屋敷の主は小さく笑って、一葉、と呼んだ。

「俺、は。俺はただ、一緒にいたかった。あの夏の日のように一緒に遊んで、俺の打った式が飛ぶのを見てはしゃいで、疲れたら一緒に昼寝して…あの時よりも上手になった式を見たらもっと褒めてくれるって、それだけだったんだ」
「そっか」
「屋敷から抜け出して、現世のもの処分して。そんで賭けをした。あの時みたいに隠れ鬼をして、見つけてくれたなら最後に足りないものをやるって…ずっと待ってた」

一葉、と砂糖菓子のような甘い声が呼ぶ。
羞恥で泣きそうになる自分を、それでも頬に触れる両手が視線を逸らす事を許してくれない。
自分をつくり上げてきた意地や、見栄や、素直でない虚飾がすべて剥がれ落ちて、最後に残ったちっぽけで寂しがりな自分がしゃくり上げながら声を上げる。それを屋敷の主は丁寧に拾い上げて、優しく宥めながらどろどろと溶かして呑み込んだ。
そんな幻を垣間見た気がした。

「遅くなってごめんね。でもちゃんと見つけたよ。捕まえた。だから一葉の残りの全部をちょうだい?」

小さく頷く。
ずるいなぁ、と心の奥底で呆れた自分が笑っていた。

「万結《まゆ》」

自分が嫌いな名前。女のようで大嫌いな。
首を傾げ困惑する屋敷の主に、ほぼ八つ当たり気味に睨み付け、繰り返す。

「俺の名前。一葉は名字で万結が名前。これでそろっただろ?」
「万結。万結かぁ。そっか。だからか」

くすくすと笑われる。
違うと分かっているのに、名前を笑われた気がして、悪態を吐きそうになる唇を噛みしめた。

「だからあの時、俺さんに『ゆま』って名付けたんだ」
「…え?」
「覚えてない?あの夏の日に名前のない俺さんに一葉が、万結が名付けたんだよ。なんでゆまなんだろって思ってたけど」

記憶を辿る。
懐かしい、あの夏の日の向こう側。素直でない自分がつけた、屋敷の主の名前を。

思い出して納得する。
あの時からすでに、この迷い家は自分のものだった。だから屋敷の主と共にいる事に、何の違和感も忌避感もないのだろう。
ならば折角だ。あの時の単純な名前に意味をもたせようか。

「じゃあ『夢迷《ゆま》』にしよう。夢に迷うで夢迷。俺に夢を見せてくれる、俺だけの迷い家」
「夢迷…綺麗な名前。うれしい」

万結と夢迷。
名前を認識して、屋敷の主の眼の中の自分が揺らいでいく。
体が縮む。幼くなっていく眼の中の自分に、これじゃあ逃げられないじゃんと嘯いて笑う。
どこまでも素直になれない自分を、屋敷の主は、もう一人の自分は呆れて笑った。


「さて、と。そろそろ行こうか。新しく迷い家を作り直さないと」
「俺。からくり屋敷にしたい。壁がぐるんってなるやつ」
「好きにするといいよ。ここは万結の迷い家なんだから」

手を差し出される。その手を離さないようにと強く繋いで。
立ち上がり、歩き出す。

障子を開けた先の真っ白な空間に、顔を見合わせ笑い合う。


万世を結びつけるように。
夢幻を描きながら迷いなく足を踏み出した。



20240916 『君からのLINE』

9/16/2024, 9:58:12 PM