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(昔のお題の『海の底』のつづきになります。一番下にあります。昨日のお題と今日のお題を一緒にしました。)


「海の底でひとり朽ち果ててしまいたかったの」

 あの子の隣を歩くのを見たくなかった。周囲が望もうとも、その瞬間だけはどうしても、考えただけで息がつまる。

 彼は私のよすがだった。

 誰もいない私には勿体ないくらいの最愛の人。彼がいないなら生きられない。彼以外に『何もいらない』ほど依存しているのを幻滅されるのを恐れ、必死に隠した。それがいけなかったのか。
 心から愛した人が奪われそうで周囲の熱に声をあげる勇気すらなく逃げ出した。失う恐怖とその先に待ち受ける底無しの孤独は地獄でしかない。
 苦しく痛みを伴う思い出に変わる前に、彼の瞳を連想させる海でひとり沈もうと…。

 走った勢いのまま海に入ったというのに波に押し返され砂浜の上、海水を吸った服は重く寝転がればあっという間に砂まみれになった。冬の海は足の感覚を奪ったたけで、私の命を奪うことはしなかった。
 私を突き動かした激情は彼に抱き締められても収まりはせず、成せなかった悔しさと惨めさ、彼が駆け付けてくれた安心感と複雑に混ざって大きな『雫』を作り頬を濡らした。
 
 夜風と海に冷やされた体には彼の体温が心地よく、砂が着くことも自身の服が濡れるのも構わず一向に腕の力は緩まない。

「あなたが居なくなることが耐えられないの。あの子のところにいかないで」

 嗚咽をもらし思った以上に汚い涙声に私自身が驚く。
 彼の重みになりたくなくて背伸びをし我が儘を抑えて寛容なふりをしていたのに。今になって初めて感情を昂らせた弱く浅ましい私を、強さに赴きを置く彼にさらした。演じていた理想の強い私が音をたて崩れていく。

「どこにもいくわけないだろ。俺もこの街も君を苦しめたんだね…。戻っても同じことが繰り返されるなら……」

 胸がひどく絞め付けられる声は顔を覗くには十分な理由で、海の底を見たことはないけど、きっと今の彼の目がそうなんじゃないかと思う。それは影だと人は言うかも知れないが影じゃない、もっとずっと深く暗い蒼だった。

「2人で消えてしまおうか」

 聞き返すよりも早くふわりと体が宙に浮き、横抱きにされて海に向かって歩き始めた。砂を踏みしめるブーツの音が途切れバシャバシャと海面を蹴飛ばす音に変わって落ちないように体を縮めて掴まった。思考が追いつき喜ぶ私がいる。
 けど、気付かないはずがない。私にはもういないけど彼の帰りを待つ大切な人たちが遠くの国に、手紙が届く度に話を聞かせてくれる彼の家族がいることを。私が、彼らから奪う訳にはいかない。

「待っ、て、あなたには待ってる人が」
「家族や兄弟なら1人じゃないし支えあえるから大丈夫。乗り越えられるさ」
 さざ波が彼の脚を、私の足先を打つ。とても穏やかな海がある。


「君といるって決めたんだよ。街には頭を冷やしてもらうとして、それに紛れよう」
 真剣ながら優しい眼差しと彼越しに彼の星座が、一際大きく清かに光る。
 咆哮と潮の薫り。
 突然荒々しく顔を変えた海が街を飲み込めそうな津波を生み出す。高々と影を作り迫っているのに私の心は凪いでいて彼も同じ心境だったかもしれない。水圧ではぐれないようにきつく腕を回すと彼の顔がぐっと近づく。

 互いの瞳は雄弁に愛を語って…唇が重なるのは自然なことだった。

「ずっとそばにいる。海の底でもエスコートは任せてくれ」
 にかりと笑ういつもの彼。私にとって最上の言葉は胸にすとんと落ちる。この上ない幸せを噛み締める時間はあまり残されていなくて、私にできる精一杯の笑顔で彼に返す。

 舞台の幕のように波が降り、視界いっぱいの青と彼を焼き付けたくて

 さいごまで瞳を閉じることはしなかった
 


 大きな津波は街の一部を浸したものの不思議な事に被害はない。街人たちは安堵し、まるで憑き物が落ちたかのように何かに熱中していたことなど忘れて日常に戻っていく。

 友人が2人のことを探すが馴染みの店にもよく見かけた大通りにも姿はなかった。街の人に尋ねても津波があった日を境にさっぱり見かけないと言う。安全だと分かるまで海に行く道は閉じられてしまった。

 2人の友人の男の方は自由奔放な時があった。もしかしたら駆け出していったあの日、もう1人の友人の手を引いてどこかに旅立って行ったのでは?あの時の街は異様だった。彼は彼女のことを大層気にかけていて、彼女もまたそう。
 友人にとって大切なお似合いの2人は別の街にいるかもしれない。次会えるのはいつだろう?再会を願いながら友人は、海の近い街から別の街を目指して行った。

 街から近い海岸に陽を反射して鈍く光る物が並んで打ち上げられている。所属を表す装飾品は豪華な作りで階級が高いもの。その横に少し踵のある女性の靴が寄せては返す波にさらされていた。

 海水で痛んではいるものの傷ひとつないそれは、友人が探している大切な2人の物だった。





『海の底』

彼と、あの子がお似合いだと、街で噂が広がった。
 
 困っていた街の住人を二人が助けたことがきっかけで、息のあった連携で抱えていた問題を鮮やかに解決へと導いた。住人は言う「お二人は素晴らしいパートナーなんですね!」と。

 彼とあの子は趣味があって、家族を大切にして、共通点がたくさんで努力家で…互いに磨きあっている。専門分野が違う私は、それを側で見守って応援しているだけ。

 街の権力者を助けたあの日からなんとなく予感はしていた。
 彼らは大々的に取り上げられ、評判の悪かった彼も街の英雄のあの子のお陰で改心したのだとか、恋の力で…だとか、お似合い以外にもどんどん尾ひれがついて、周囲は彼とあの子をくっつけようとしている。
 手を伸ばせばすぐに掴めるはずなのに、彼を遠い人のように感じ始めて。

「あなたもお似合いだって、そう思うでしょ?」
 賛同を求められて限界だった。もう聞いていられない、見ていられない。ここで私は呼吸ができない。

 その場に居られなくなって逃げるように海へと駆け出した。

 二人が困った顔をしていることに街の住人も海に走っていった彼女も誰も気付いていない。

 私の、彼のはずなのに。隣に居たくとも私の居場所ではないらしい。
 彼の立場を考えて付き合っていることは隠していた。
 あの子と彼は美しい物語に仕立て上げられ街の住人は自分たちで作ったそれに酔いしれている。今さら名乗り出たところで噂に勝てる美談などはない。

 あの子はとても良い友人で、周りに流される子ではないと分かっているのに。もしかしたら彼の、こと…。

 考えてしまったら現実になりそうで、波なんてお構い無しに衝動のまま。冬の海の冷たさはあっという間に足の感覚を奪った。腰まで浸かる頃には先へ進むことができなくなった。波に少しずつ押されていって、砂浜に逆戻り。  もっと深くまで行ければ、波がさらってくれればよかったのに。
 砂浜の上のにずぶ濡れで砂まみれになって寝転がる。

…中途半端だ。

 起伏のない土地がここで仇となった。辺りは一面の砂浜。
 見上げれば街の灯りではっきりとしなかった星たちがきれいで、滲む視界でより輝いていた。

「本当ならね、

 崖でもあれば身を投げ出して

  沈んでいく最中に海の織り成すグラデーションを

   彼の瞳に似た色を目に、体に、焼き付けて


    さいご


  『海の底』でひとり朽ち果ててしまいたかったの」
 
  
 震えた言葉は波のように揺らぎ、海と星空だけに胸の内を明かしたはずだった。

「…俺が『底』まで君を追いかけないとでも?」
息を切らせた彼に骨が悲鳴を上げるくらいきつく抱きしめられるなんて。


 入水をする程に強がりな君を追いつめた。とっくに限界を越えていて、砂浜に倒れているような濡れた影を見た時、生きた心地がしなかったがちゃんと生きている。
 君に好かれているのか不安であの言葉をすぐに否定しなかった、傷ついていることを知りながら、ああ、愛されているんだと。こんな俺を許してくれだなんて言わないから。


 『海の底』に連れ去れたらいいのにって思っていることを君は知らないだろ?
 そこに行けば太陽の暖かな光も月の優しい光も届かず、陸に帰ることもできない。俺無しでは生きられなくなる、二人だけの世界。
 深いふかい、まっくらやみに閉じこめて君を独り占めにして、どうか俺だけをその目に映して、と。

 心の奥底にある『海の底』よりも暗く厄介で重い何かが、顔を出していることも。





4/22/2023, 3:28:33 AM