小説の練習中

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 紅茶をカップに注ぐとき、最後の一雫をベストドロップと呼ぶ。紅茶の旨みを最大限抽出したその一滴が無ければ、せっかくの紅茶が台無しなんだよ、と姉は言った。

「最後の一滴がカップに落ちるまで待てないと、美味しい紅茶は飲めない。だからさ、私は何かを求めるなら、それ相応の忍耐が必要だと思うの」

 差し出されたカップに紅茶が注がれた。わずかに波打つ紅茶は、やがて水面が静かになる。蛍光灯を背に、情けない顔を晒す僕がカップの中に映った。

「アンタは忍耐が足りなかったのよ。きっとね」
「姉ちゃん。それ傷心の弟に向ける言葉?」
「鉄は熱いうちに叩かなきゃ意味ないでしょ。アンタは好きな子を蔑ろにしたの。反省なさい」

 ピシャリと言い返し、姉はマグカップを口に当てて傾けた。僕はカップに口をつけず、頭を抱えた。
 今日は好きだった子との初デートだった。何日も前から準備して、綿密なデートプランを組んでいた。
 おそらく彼女とは両想いだった、と思う。僕があの子を見るのと同じくらい、あの子が僕を見る目に熱がこもっていたのは確かだった。
 相手に迷惑じゃないか考えすぎるあまり、近いようで遠い絶妙な距離感が僕たちの間にはあった。その距離感を保ったまま、バスに乗り込んだ。映画館に行く予定だった。
 ああ、クソ。鬱になりそうだ。
 バスの中には仲の良いクラスメイトがいた。彼は目ざとく僕らに気付き、ちょっかいをかけてきた。おう奇遇だな、その子は? へえ! 映画館! いいねいいね、そういえば映画館で思い出したんだけどさぁ。

 正直なことを言えば、ちょっぴり気恥ずかしかった。クラスメイトの登場に助かったと思ったのも確かだった。彼女に話しかけもせずに、ずっとクラスメイトと話し込む僕の姿は、彼女の目にどう映っただろうか。想像に難くない。
 目的地のアナウンスが流れ、ようやく僕は彼女の存在を思い出した。慌てて振り返ると、彼女と目が合う。未だかつて見たことがないような、冷え切った眼だった。そこから先は頭が真っ白になって、何も覚えていない。
 ぽちゃりと小さな水音がした。視線を下ろすと、カップの中の僕はゆらゆらと揺れている。また小さな水音がして、僕の目から流れた雫がカップの中に入っていくのが分かった。

「僕が悪かった」

 言葉を口に出すことで、過ちを受け入れられる気がした。

「照れ臭さなんか我慢すれば良かった。他にもっとやるべき事があったのに。気をつかうべきだったんだ」

 僕がクラスメイトとの会話に夢中になっている間、ずっと黙ったままだった彼女。彼女の期待を裏切ったのは僕だった。その結果が、あの冷え切った目で。ああ、トラウマ決定だ。
 姉は無言で席を立った。僕の手の届く範囲に置かれたボックスティッシュこそ、これ以上何も言わない姉の少し不器用な優しさだった。

 僕は鼻をすすり、カップの中にある紅茶を一口飲んでみた。優しい紅茶の香りと、ほんのちょっぴりの塩辛さ。喉を通りすぎる熱い紅茶の雫が、後悔で凍りついた僕の心を温めてくれるような気がした。

テーマ「雫」
紅茶と後悔の話

4/22/2026, 9:52:50 AM