「月が綺麗ですね」
しゃらしゃらと光が柔らかく降り注ぐ道。
都会の中にあっても幻想的なのは人がいないからか。
それとも。
見上げた月はただ静かに微笑むだけ。
かけられた声に振り返ろうとすると、指が頬に当たる。答える方が先らしい。
「そうだな。もう青くはないですね……なんて答えはどうだろう」
「ふふ、私相手でなければ幻滅されますよ」
「伝えたい人に伝わればいいんだよ」
コロコロと笑う声が恥ずかしく、結局後ろは向けない。いつもそうだった。格好つけて、からかうように笑われて、どれだけ喧嘩してたってどれだけ話してなくたって最後にはいつも彼女が勝っている。
けれど、足取りは決して早めず。月夜に2人、彼女と同じ歩幅で歩いていく。
ずっと変わらない距離。横を見ると付かず離れずの影が一緒に歩いていた。街頭や、雲なんかで形だけ変わっていっても、結局根っこは離れられず元の形は結局同じだ。
空には満ちた月。昔答えた時のように、青くも小さくも無いけれど、決して消えることは無かった変わらぬ形。そんな明かりに照らされて2人歩くのが本当に心地いい。今も、昔も。
そんな時間もそろそろ終わりのようだ。
遠くに家の暖かな灯りが見える。そこまで行けば、またそれぞれのことをしなければならない。
そう考えると、何故か足取りが緩くなっていく。自然、彼女が後ろから背中をつんつんと押してくる。
「どうしたんですか?」
「勿体ないなって」
「何事にも終わりがありますよ」
寂しげなその声に振り返りたい衝動を抑える。胸の中に1つの静かな嵐が至る所を傷つけていく。懐かしさすら感じるその痛みについに足を止めてしまう。月明かりすらその姿を雲に翳らしてしまい、辺りは少しばかり影が薄くなった。
ふぅ、とため息をつく音。
そして、背後からいつか答えた問いが形を変えて、再度投げられた。
「月が綺麗ですね」
不器用だった。自分も彼女も。
だから、多くの言葉は要らなかった。
自然と笑みが浮かぶ。
「ずっと見惚れていました」
くすり、という声と共に辺りは明るく染っていく。
知っていたとも。だから答えは伝えた。
そのまま家の灯りへ歩を進める。きっと彼女は着いてこないだろう。いつの間にか雨が降っていた。
そう思っていたから。
「ええ、死んでも直りませんね」
その、背中の温かさも受け入れることが出来たのかもしれない。それが消えることも。
目を開けると、心配げな息子の顔が飛び込む。
次いで、孫や、義娘の顔。
さっき貰った明かりは、まだ顔に残っている。
「ただいま」
薬品香るベッドの上。窓の外には変わらない形があった。
【夫婦】
11/23/2024, 2:35:14 PM