おさしみ泥棒

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 特別な夜にしようと思ったのだ。小心者の俺にとっては、一世一代の覚悟だった。好きな女の子を遊園地に誘うだなんて。
 震える手で二人分の割引チケットを差し出せば、松井さんは笑って「いいよ」と言ってくれた。その笑顔があまりにも可愛くて、俺はすっかり舞い上がってしまったのだ。

 眼下の夜景にはしゃぐ彼女を見ていたら、とうとう気持ちがおさえきれなくなった。考えるより先に、言葉が出ていた。
 すきです、と上ずった声で告げた俺を前に、松井さんは困った顔をした。それから彼女は、黒目がちのまるい瞳を気まずげに伏せて、小さな声で「ごめん」と言った。

「私、ニッシーのことは友達だと思ってるから」

 その言葉で、俺はたちまち我に返った。冷静になれば、あたりまえのことだ。もしかしたら松井さんも俺のこと、なんて、馬鹿な勘違いにも程がある。頬がじわじわ熱くなっていく。

「あ……そ、そっか! なんかごめん変なこと言って! 全然忘れてくれていいから!」
「あ、え、いや別に変では……ちょっとびっくりしただけで、気持ちは嬉しいよ、普通に」
「あ、そ、そっか……」
「うん……」
「………………」

 沈黙が落ちる。あまりに空気が重すぎて、ゴンドラごと落ちてしまうんじゃないか。恐らく今の俺たちは、観覧車に乗っている客史上、いちばん気まずい。
 よく考えたら、観覧車に乗ったときに告白するのはリスクが高すぎる。頂点ぴったりで告白してOKされたならいいが、そうでなければ振った相手と振られた相手が、地上に戻ってくるまで無言で向かい合い続ける地獄の時間が発生する。現に今、発生している。

 ゴンドラから出るなり、彼女は俺を振り向いて言った。

「ちょっと用事思い出したから、そろそろ帰るね」
「えっ」
「じゃあね、またバイトで」
「…………」

 駅まで送るよ、と言う前に、彼女は足早に去ってしまった。観覧車のりばの前に、俺はひとり、ぽつんと取り残された。
 しばらく唖然としてその場に突っ立っていたが、俺はやがて近くのベンチに力なく腰を下ろした。幸せそうな顔をしたカップルが、ライトアップされた観覧車に乗り込んでいくのを、ぼんやりと眺める。
 俺、何やってんだろ。自分があまりにダサすぎて、もはや笑えてきた。どうして俺はこうなんだろう。何をやってもうまくいかない。
 うなだれて洟を啜ったそのときだった。正面から、とんとん、と肩を叩かれた。
 顔を上げると、水色のうさぎが立っていて、思わず「えっ」と声を上げた。
 正確には、うさぎのきぐるみだ。もっと正確にいえば、この遊園地のマスコットキャラクターである"ラビくん"のきぐるみである。
 ラビくんは、右手に持った風船をひとつ、俺のほうに差し出してきた。

「え、お……俺にくれるの?」

 聞けば、ラビくんはこくりとうなずいた。それからもふもふの手を伸ばして、俺の目元を拭くような仕草をしてみせた。

「な、泣かないでって?」

 ラビくんはまたこくりとうなずいた。それからぴょんぴょんジャンプしたかと思えば、奇妙なダンスを踊り始める。
 とにかく、一生懸命慰めようとしてくれていることは伝わってくる。あまりに必死なものだから、俺はつい吹き出してしまった。

「はは、ラビくんありがとう。ちょっと元気出たよ」

 そう伝えると、ラビくんはまた嬉しそうに飛び跳ねた。きぐるみ着た状態でよくそんなにジャンプできるなと、一瞬ロマンのないことを思ってしまったのは内緒だ。
 ある意味で特別な夜になってしまったが、過ぎてしまったことは仕方ない。ラビくんの優しさに触れて、俺は早くも、失恋から立ち直りかけていた。

 しかしながら、帰り際になんとなく立ち寄ったおみやげショップで、俺はラビくんに手ひどく裏切られることになる。
 手に取ったハート型のクッキー缶には、イラストが描かれていた。ラビくんと、その隣に並んだピンク色のうさぎが、仲睦まじく手を繋いでいる。

「……お前も彼女いるんじゃねえか…………」

 もう二度と、その遊園地には行かないと誓った。

【テーマ:特別な夜】

1/22/2026, 6:23:41 AM