たかなつぐ

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 テーマ『安らかな瞳』

 どんな場所にだって、精霊の一人や二人いるもんだ。
 俺は便所の精霊。
 毎日野郎どもが糞を垂れ流す様子を監視し、
 この神聖な場所を粗末に扱うクソ野郎がいれば、制裁するのが俺の仕事だ。
 
 ただ最近はどうにも、
 便所に「すまほ」とかいう謎の板を持ち込む奴らが増えた。
 そいつらのことを、俺は「すまほ族」と名付けた。
 すまほ族は用も足さずに便座に座り込んで、ちまちま指先を動かしている。
 こちとら、暇人に貸す便座なぞ持ち合わせていないんだよ。
 驚かして追い出そうとした。だが、どうやってもうまくいかない。
 扉に人の顔を描いても、耳元で変な声を出してみても
 奴らはすまほに夢中で、さらには耳に詰め物までしてやがる。
 俺がやることなすこと、全部空振りだってんだから悲しいぜ。

 お、今日はまともにここを使いそうなやつが来たな。
 若い勤め人だ。紺色の羽織(スーツ)を着て、爽やかな青年じゃないか。
 どれどれ……微妙に内股になったあの姿勢、小刻みに震える肩。
 この様子だと、そうとう催してるみたいだな。便所の精霊である俺にはわかる。
 ただ残念なことに、ここの便所に個室は六個しかない。
 そしてその全てが今、憎き「すまほ族」どもに占領されている。

 俺は、どうにかしてあの若いあんちゃんを助けたかった。
 しかし、精霊が人間に干渉できる範囲には決まりがある。
 俺の持つ権限をフル活用して、俺はすまほ族たちに「早く出ろ」と警告をした。
 個室の内側から思い切り叩く。水洗便所の水を勝手に流す。壁に引っ掛けられた荷物を少し揺らしてみる。
 しょぼいことばかりだが、俺にできることはそのくらいしかなかった。
 
 案の定、すまほ族は誰一人として出ようとしたがらない。
 逆に、もうだいぶ限界な様子のあんちゃんは
 個室のそこかしこからトントン扉を叩く音がするもんだから、
 驚いて他の便所へ向かってしまった。

 ……まぁ、いいけどよ。
 俺が住んでるのは縦に長い、えらくでかい建物の中だ。
 ほかにも便所はあるし、よそならすまほ族もはびこってないかもしれねぇ。

 後日。隣の便所に住んでるダチに訊いてみた。
 「この前、そっちにだいぶ切羽詰まったあんちゃん来なかったか」
 そしたら俺と同じ便所の精霊は、笑いながらこう話してくれた。
 「あー、来たぜ。紺色のスーツの奴だろ? 
 タイミングよく、そいつと入れ違いですまほ野郎が出て行ったんだ。
 空いた個室に飛び込むみたいに入っていってよ。
 あんな安らかな顔して糞するやつ、何十年ぶりに見たぜ!」
 
 そう聞いて、俺はホッと胸をなでおろした。
 あんちゃんが無事でよかった。

 それ以来、この建物中の便所には張り紙がされるようになった。
 「トイレ内でのスマホ使用、厳禁。休憩は休憩室で」

 張り紙の効果なのか、便所に来るすまほ族はだいぶ減った。
 これは噂だが、休憩室にも簡易的な個室が設置されたらしい。
 そりゃあ、どうせ休憩するなら禁止された臭い便所よりも、
 綺麗で快適な休憩室がいいわな。
 
 まぁとりあえず、今日も便所は平和だぜ。
 そこにいる君が坊ちゃんか嬢ちゃんか知らねえが、
 限界が来る前に便所へ来いよ。
 恥ずかしいことはねぇ、人間誰しも糞製造機なんだ。
 むしろ、糞尿を垂れ流すからこそ人間と言える。
 立派なのをぶちかましゃあ、『うん』が付くってもんさ。
 気楽に来ればいい。便所で待ってるからな!

3/15/2023, 4:49:42 AM