汀月透子

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〈揺れる羽根〉

 リハーサルの音が体育館に響く。床に伝わる低音が足の裏をくすぐり、心臓の鼓動と重なる。
──これが、最後の舞台。
 そう思うだけで、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。

 高校のダンス部に入ってから三年、ずっとこの文化祭のステージを目標にしてきた。舞台の上で踊るのは、これで最後だ。

 私がこの高校を選んだのは、中学三年のとき志望校の下見として来た文化祭がきっかけだった。
 照明が落ち、静まり返った体育館の中央に現れたのは、大きな羽根飾りのついた黒いハットをかぶったダンス部の先輩たち。音楽が始まると、羽根が光を受けて揺れた。
 裾が優雅に広がる衣裳をまとい軽やかに踊る姿は、鳥のように──いや、鳥以上に自由で美しく、私は息をするのを忘れて見入った。
『私も、あの中に入りたい』
 その時の想いが、この三年間のすべての始まりだった。

 けれど、入ってすぐに分かった。あの羽根のように軽やかに見える動きの裏には、信じられないほどの努力があった。
 放課後の体育館は、汗とスピーカーの音で満たされる。何度も同じ振りを繰り返し、足の皮は剥け、鏡の前で泣いた夜もある。
 「もう無理」と、仲間は次々に辞めていった。三年になった今、入部当初の半分以下しか残っていない。

 それでも私は続けた。
 憧れたあの舞台の、自分がその一員になれる日を信じて。

 ステージの袖では、仲間たちがメイクを整えている。羽根飾りのついたハットが並ぶ様子は、小さな鳥たちの巣のようだ。
「ひなた、緊張してる?」
 副部長の百音(ももね)が笑いながら声をかけてきた。
「うん、ちょっとね。でも、楽しみのほうが大きいかな」
「だよね。私たち、ここまで来たんだもん」

 舞台袖から覗くと、客席はあらかた埋まっている。部員の晴れ姿を撮ろうと、カメラを構える保護者が陣取る中(うちは祖母まで来ている!)、最前列に中学の制服を着た女の子が数人見えた。
 真剣なまなざしで舞台を見つめている。
 彼女たちの瞳の奥に、三年前の自分の姿が重なった。

 照明スタッフのカウントが聞こえる。ざわめいていた体育館が、少しずつ静まっていく。
 音が止まり、舞台の幕がゆっくりと上がる。

 眩しいライトの中、私はハットを深くかぶり、音楽の始まりを待った。
──ドン。
 重低音が響いた瞬間、体が自然に動き出す。

 練習で何度も刻んできたリズム。ステップ。ターン。
 体はもう考えなくても動く。観客の存在さえ忘れ、音の波の中に溶けていく。
 羽根が揺れるたび、ライトが反射して光の粒が舞う。
 私は思った。
──あの日の私も、こんな風に見えていたのかな。

 息を合わせて仲間とスピンする。汗が頬を伝う。
 もう苦しくても、止まりたくない。
 私たちは、この瞬間のために踊ってきた。

 曲が終盤に差しかかる。
 ラストのフォーメーションへと移動しながら、胸の奥が熱くなった。
 “誰かの心に残る踊りがしたい”
 その願いが、いま確かに形になっていく気がした。

 最後の一拍。
 全員で視線を合わせる。

──せーの。

 私たちは一斉にハットを投げた。
 羽根飾りが光を受け、宙を舞う。
 まるで、鳥たちが自由に空を翔けていくように。
 その光景を、私はきっと一生忘れないだろう。

 観客席から歓声が上がった。拍手の波が押し寄せる。
 私は胸いっぱいに息を吸い込んだ。
 重かった衣裳も、痛かった足も、もうどうでもいい。
 その瞬間、私は確かに“あの日憧れた自分”になれていた。

 舞台袖に戻ると、皆が泣きながら抱き合った。
「やったね」「最高だったよ」
 言葉にならない思いが、涙と笑顔の中に溶けていく。

 私は手に残った汗の感触を確かめながら、舞台を振り返った。
 もう二度とこの場所で踊ることはない。
──でも、羽根は揺れた。確かに、この胸の中で。

 誰かが今日の私たちを見て、憧れてくれたなら。
 いつか、あの子たちが新しい羽根をつけて舞台に立つ日が来るなら。
 それだけで、十分だ。

 私の羽根は、もう次の空へ渡っていく。

──────

私は帰宅部でしたが、部活が色々活発だったのでその頃を思い出しながら書いています。
純粋に、一つのことに打ち込めるのは学生の頃だけなのよねぇ……

10/25/2025, 8:50:35 PM