私のクラスには、細かすぎるルールがある。提出物は右上を揃えること。発言は手を挙げてから三秒待つこと。廊下は右側を、一定の速度で歩くこと。
誰も守っていない。でも私は守る。
守らない人に注意すると、決まって返ってくる。
「頭固いって」
「誰もやってないじゃん」
それでもいい。守っていないと、落ち着かないから。
──そう思っていた。
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最初の違和感は、ほんの一瞬だった。
チャイムが鳴る前に席に着いたとき、音が遅れて聞こえた。私の動きに合わせて、世界が追いついてきたみたいに。
それが、何度も起きる。
順番を守って発言すると、周りの声が消える。廊下を規定通りに歩くと、誰にもぶつからない。まるで、私の行動だけが《正解》みたいに。
ある日、私はわざとルールを破ろうとした。
でも、できなかった。足が、勝手に減速する。手が、勝手に止まる。正しい行動に、戻される。
──気づいてしまった。
守っているんじゃない。守らされている。
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その日の放課後、廊下を歩きながら、私は決めた。
全部、無視する。走る。順番も守らない。誰かにぶつかってもいい。
足に力を込めた、その瞬間。
視界の端で、何かが動いた。天井の隅。黒い点みたいなものが、こちらを見ている。
血の気が引く。
それでも踏み出し、走った。
──次の瞬間、世界が歪む。
音が消える。
空気が固まる。
そして、意識が落ちた。
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目を開けると、白い天井だった。消毒液の匂い。カーテンの向こうの光。
「……気がついた?」
横を見ると、養護の先生がいた。穏やかな声。
「少し貧血みたいね。無理しちゃだめよ」
私は起き上がろうとして、止まる。さっきのことを思い出す。
「先生……あの、」
言いかけて、言葉が詰まる。何を見たのか、うまく説明できない。
養護教諭は、少しだけ首をかしげた。優しい笑顔だけど、目が笑っていない。
「あなた、ちゃんと守ってる子だったのにね」
その言い方が、引っかかった。
「……守ってたら、どうなるんですか」
思わず聞いてしまう。
先生は一瞬だけ黙って、それから、微笑んだ。
「安心するでしょう?
全部が、きれいに整うから」
その声は優しいのに、どこか冷たかった。
「でもね」
先生は続ける。
「あの子たちを覚えてる?
あなたと同じように、完璧に守っていた子たち」
私は、首を振ろうとして、止まった。
──誰かのことを、考えようとしている。でも、輪郭がつかめない。
「観測する意味がなくなったものは、記録されないの。
記録されないものは、残らない」
先生の声が、遠くなる。
「整いすぎたものは、残らないのよ」
私は何か大事なことを、今わかった気がした。言葉にしなければ、と思った。
でも、カーテンの外で誰かの笑い声がして。
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教室に戻ると、何も変わっていなかった。騒がしくて、雑で、まとまりがない。
「お、復活じゃん」
誰かが軽く手を振る。
私は席に座って、周りを見渡す。
──何かが、足りない。人数は合っているはずなのに。席も埋まっているのに。
先生に、何か大事なことを聞いた気がする。
でも、何だったか。
誰かが、いた気がする。
「ねえ、このクラスって……」
隣の子に聞こうとして、やめる。言葉にできない。
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その日から、私はルールを完璧には守らないことにした。理由はわからない。ただ、そうしなければいけない気がした。
わざと少し遅れる。順番を外す。廊下を、少しだけ速く歩く。すると、あの《視線》は現れない。
でも、ときどき思う。
もし、また全部を守ったら。あの子たちの名前を、思い出せるんじゃないかって。
黒板の前で、チョークの音が響く。私はノートを開きながら、ふと天井を見上げる。そこには、何もない。
──何もないはずなのに。
ほんの一瞬だけ、見られている気がした。
4/25/2026, 9:19:22 AM