【特別な夜】
その日は僕にとって、特別な夜だった。
いや、僕だけじゃない。つい先日上京した友人にとっても、僕が推してるアイドルにとっても、…それこそ海の向こうに住む人たちにとっても、あの日は特別だったに違いない。
赤色の月だ。
燃えているのとは違う、ルビーのような濃く鮮やかで深い赤色を、月が纏っていた。
あれは間違いなく月でした、と、権威ある天文学者が明言した。
のちにわかったことだが、当時月の探索をしていた人工探査機も、月が赤く染まった様子をカメラで捉えていた。
地球上に住む全ての人にとって、それは特別な夜だっただろう。
優しい黄色の光で夜の地球を照らすあの月が、力強く、ともすれば禍々しくも思える真っ赤な光を放っていたのだ。
何事だと誰もが思った。月が爆発して消滅する前兆だとか、神の怒りだとか、未発見の超常現象だとか、いろいろと議論が交わされた。
………が、その夜をすぎて今や1ヶ月。
僕の生活には何ら異変がない。
上京した友人からも、無事に就職できたと連絡が来た。テレビをつければ、推しのアイドルがステージで歌って踊っている。
学者たちの間では今もなお議論が続いているらしいが、僕たち一般市民にとっては、もはや過ぎたこととなっていた。
それでも、ふとしたときに思い出す。あの夜の光はなんだったのか、と。
今日もあの夜を思い出した。
半ば無意識に部屋の窓を開け、夜空を仰いでみる。星座はよく知らないが、特徴的なオリオン座だけはすぐに見つけられた。輝く星々の中に、黄色い月が輝いて、街を照らしている。
_____________ああ、今日は普通の夜だ。
1/21/2024, 10:58:37 AM