いろ

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【相合傘】

 半月の浮かぶ雨夜に、川沿いの道を傘を差して一人で歩きながら、自分の左側に隙間を空ける。そうしていれば川の神様が、傘の下に現れる――それが私たちの住む地域で語り継がれる伝承だった。
「とかなんとかオシャレに言ってるけど、ようは相合傘だよね?」
 腕をなるべく持ち上げて傘を差しながら、隣に立つ君を見上げて問いかけた。と、君の手が傘の柄をそっと支えてくれる。
「僕の生まれた時代には、まだそんな言葉はなかったからね。正直、あんまり聞き慣れない言い方だな」
 艶やかな白髪が、水気を帯びて柔らかくうねっている。時代錯誤にも程がある狩衣姿も君にはよく似合っていた。顔の造形だけならせいぜい二十代後半程度にしか見えないけれど、このひとは千年以上をゆうに生きている『神様』だ。世俗的な言い回しには疎くて当然だった。
 傘の柄は完全に君の手の中へ。疲れてきていた腕を下ろし、その代わりに君の腕に自分の腕を絡ませた。なるべく距離が離れないほうが歩きやすいからと始めた習慣だったけれど、互いの歩幅の大きさを理解して自然と譲り合うようになった今となっては、ただ君の温度に少しでも触れていたいだけだ。
 雨のしとしとと降り注ぐ半月の夜、相合傘の下でしか逢うことの叶わない美しいひと。私が初めて、恋をしたひと。
 君に恋をしていると告げたなら、人間という存在を平等に愛するだけの君はきっと困ってしまうだろう。束の間の逢瀬に弾む心を押し隠し、大人びた聞き分けの良い人の子を演じて私はにっこりと微笑んだ。

6/19/2023, 12:00:28 PM