ななせ

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子供は無垢で良いねえ。
子供が無垢なのは頷ける。けれど、無垢とは良いことだろうか。無邪気であるとか、そういった事は全てプラスであるのだろうか。
私なりに、幼い頃を振り返ってみる。
ある雨上がりの日のことだ。学校から帰っていた私は、道に蛙を見つけ、何も考えず傘の先で潰した。
結果、蛙はくきゅ、と音を立てて無惨な姿に変貌し、私は顔を顰めた。
あれは無垢だ。
罪の意識もなく、純粋な興味のみで行われた行為は無垢そのものであり、到底咎められるものではない。悪意を持って起こった事ではないからだ。
もう一つ。
私の小学校には、気の弱い生徒がいた。
自分の意見を全く言わず、人に合わせる、早い話が引っ込み思案だった。その子はいつもオドオドしていて、幽霊みたいにふらついていた。
そのことを、誰かがこう言った。
「あの子って、おかしいよね」
『おかしい』この言葉に、大した差別意識や嘲笑などは含まれておらず、ただ自分が感じたままに言っただけである。
しかし、それ故に周りも賛同した。
お前、おかしいって。ねえやっぱりさあ、おかしくない?おかしいよね。うん、分かる。
それはどんどん伝染して行き、耐えられなくなったその子は、担任の教師に訴えた。
教師はクラスメイトを叱ったが、誰一人として心に響いてはいなかっただろう。
何故なら、悪意を持った行動でないからだ。
いじめてやろう、嫌がらせてやろうと思って笑っていた者は一人もいないのだし、むしろ面白いネタが増えたくらいの気構えだったのだ。
これも全く無垢である。
どんなに善い行いをしても、その根源に欲があればそれは無垢ではなく、打算の上の行動だ。
逆に、悪逆非道の限りを尽くしても、その根源に欲望がなければそれは無垢なのだ。
心に濁りのない者は、ひとたび道を間違えると独裁者にもなりかねない。小さいうちならまだ叱咤で済まされるだろうが、年齢を重ねるにつれて負う責任の重さも増していく。
そう考えると、大人になる前に無垢を失うのは良い設計と言えるのかもしれない。


お題『無垢』

6/1/2024, 12:02:51 AM