にえ

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お題『あなたがいたから』

 これは、前の主様とのお話。

 臨月も間近となったある夜、俺と主様はキッチンに来ていた。
 ホットミルクが飲みたいとおっしゃられたのでそのまま寝室でお待ちいただくつもりでいたら、私も行きたい、とおっしゃられたのだ。お待ちください、いやだ、足元が危険ですので、だって……。
 最後には「だったらもういらない」と言い出してしまい、結局俺の方が折れた。
 俺の腕に捕まっていただき、二階の寝室から一階に降りるまでは、おそらく俺の方が緊張していた。

 はちみつを溶かし込んだホットミルクを、座るとしんどいからという理由で立ったままコクコク飲んでいる主様。間もなく母親になるとは思えなく、むしろ主様こそ幼な子に見えてくるような、無邪気で愛くるしい微笑みを浮かべている。
「ふぅ……美味しかった。ありがとう、フェネス」
「いえいえ、どういたしまして。それでは洗い物を済ませてしまいますね」
 ミルクパンとカップを洗っていると、あのね、と小さな声で主様は話し始めた。
「私、本当は赤ちゃんを産むのが怖かったの」
 思わず動きを止めて主様に目を向けた。
「ひとりで産むのが怖くて、マタニティブルーっていうのかな? 急に不安になったり、泣きそうになったり」
「主様……」
「多分あのままひとりだったら、こうやって、あたたかい飲み物で気分を落ち着けようという気すら起こらなかったと思うの。
 少しでも私に変化があるとしたら、フェネスたちに出会えたおかげかな。ありがとう。ひとりぼっちにしないでくれて」
 小さなお身体で、そんな想いを抱えていらっしゃったのか……辛かっただろうな……。
「話してくださってありがとうございます。俺なんかでも少しは主様のお役に立てているようで嬉しいです」
 ふふふっ、と笑った主様は、
「これからも親子ともどもよろしくお願いします」
と言って頭を下げた。

 産後、すぐに亡くなってしまったけれど。
 主様が残してくださった赤ちゃん——今の主様——がいるから、俺たちも頑張っていられます。

6/20/2023, 10:56:03 AM