高く高く舞い上がった後は、綺麗さっぱり燃え尽きるものだと思っていた。だが、現実はそう甘くない。叶わなかった事実は残酷なまでに傷を残すし、絶望にも似た虚無を連れてくる。
週末の深夜、もういいやと自棄になってしまった。駅近のお高めなホテルにチェックインして、着の身着のままですぐ近くにある飲み屋を徘徊し、かなり悪酔いした状態で今カウンターに伏せている。
まだ半分以上残っているジョッキに映る、なんとも不細工な顔をした女と見つめ合うことになるとは予想外だ。
「お客さん、そんな飲み方したら危ないよ」
──優しさからくる言葉じゃないんだろ、どうせ。
反射的に心の中で毒づく。単にここでぶっ倒れられたら困るっていうだけの話だ。心の底から心配してくれる人なんて、きっと私の人生には用意されてない。
重たい頭をもたげて、ゆっくりと体を起こす。悪酔いしている自覚はあるけど、見も知らぬ相手に喧嘩を売るようなみっともない真似はしない。そこまでは落ちぶれたくない。
「ご忠告、ありがとうございます」
「お、おお。なんだ、ちゃんとしてたんだな。こりゃ失敬」
そそくさと奥に引っ込んでいった店長の背中を眺める。今の私のどこを見て『ちゃんとしてる』って言ったんだ。酒の力を借りてもなお泣けないような理性が褒められることならば、誰もが眉をひそめるくらい醜悪になりたい。
もうそろそろ引き上げようとジョッキに手をかけたそのとき、隣から伸びてきた手に押さえられた。
「さすがに飲みすぎですよ、先輩」
誰かと思ったら後輩だ。呆れたような顔で頬杖をついている彼の手を振り払おうとしたけど、酔っ払っているせいで上手く力が入らない。
「プライベートの時間なのよ。別にいいじゃない」
「体に障るでしょ。いくら酒に強くても、過剰なアルコール摂取は褒められたことじゃないですよ」
「うるさい! 私の体をどうしようが、あんたに関係ないわ!」
「はいはい、ここで暴れないでください。お店に迷惑ですから」
私の両手を片手で押さえ込んだ彼は空いてる方の手でジョッキを持ち、まるで見せつけるかのようにひと息に飲み干してしまった。
「ごちそうさまでした。勘定お願いします」
「ちょっと、なに勝手に」
「先輩のことだから、どっかのホテルに部屋取ってるんでしょ。送りますから教えてください」
手早くカードで精算した彼は、私の手を開放することなく外へ出る。ひやりと冷たい風に身震いすれば、コートを肩に掛けられる。彼のではなく、私のお気に入りのコート。そうだ、夜は冷えるからって持ってきたんだった。
「……なんで泣いてるんですか」
ああもう、最悪だ。
「可愛げないでしょ」
「は?」
「帰りの心配をしなくていいようにホテル取るし、夜は冷えるからってコート持ってるし、あれだけ飲んだのに腰が抜けることもないし」
「まあ、最後のは体質でしょうからスルーするとして、かなり用意周到ですよね」
「可愛くないんだって。しっかりしすぎて隙がなくて、おまえといると息が詰まる……って」
今日の朝、付き合ってた彼氏から一方的に別れを告げられた。口には出してなかったけど、いずれ結婚できたらいいなって思ってた。
なのに『可愛げがないから別れてくれ』だなんて、自分でも納得できちゃうような理由でフラれたなんて、誰にも知られたくなかった。
「なんで、一番情けないところを……君に見られなきゃなんないのよ」
もう頭が痛い。涙で思考も顔もぐしゃぐしゃだ。子供みたいにしゃくりあげるなんて信じられない。それでもお気に入りのコートを汚したくなくて、必死に手の甲で拭ってて馬鹿みたいだ。
「別に情けないなんて思ってませんよ」
優しくはない真面目な声と一緒にハンカチが差し出される。それを戸惑いながら受け取ると、今度は柔らかく手を握られる。
「で、ホテルどこなんですか?」
「この状況で他に言うことないわけ!?」
「ドラマの観過ぎじゃないですかね。何を期待してるんだか」
「してないわよ!」
悲しいのか腹立たしいのか分からなくなってきた。半分怒鳴るようにホテル名を言うと、彼はさっさと歩き出す。そう遠くまで足を伸ばしてないところも、可愛くないって言われる要因なんだろう。
──ダメだ、何を考えても卑屈になってしまう。
借りたハンカチはすぐびしょ濡れになってしまった。化粧も染み込んでしまったから、買い直して弁償しないといけない。
──ああもう、今はそんなこと考えたくないのに。
「俺、慰めとか同情とか、そういう手を使いたくないんですよ」
ホテルの前まで来て、彼は突然そう言った。そうして、見たこともないくらい真剣な顔で私に向き直る。
「一夜の過ちとかで逃げられても困るんで」
「……は?」
「相手がいるなら諦めようと思ってましたけど、その必要もなくなったので口説くことにします」
「え、は、なに言って」
「どっかの馬鹿と違って、俺は自立しているあなたが好きです。そもそも、頼れない相手を前にして隙ができるわけないじゃないですか。その男が馬鹿なんですよ」
目の前がぐるぐるしてくる。握られたままの手がじわりと汗ばんできて、なんだか顔が熱い。言葉も出てこないままで彼を見上げていれば、ぎゅうっと眉間にしわが寄った。
こほんと咳払いをしたかと思うと、私をホテルの中へと連れて行く。暖かいロビーに足を踏み入れたら、彼の名残惜しそうな指先が手を掠めながら離れていく。
「風邪引かないでくださいね。……おやすみなさい」
足早に立ち去った彼を呆然と見送りながら、彼に言われた言葉を反芻する。彼は私を好きだと言った。逃げられたら困るから手は出さないとも言った。
──つまりなに、私は今告白をされたわけ?
回転の遅い頭が結論を出したとき、我ながら呆れるほどの速さで鼓動が高鳴りだした。ちょっと待ってよと意味のない制止をかけたが、高く高く舞い上がりそうな不謹慎な感情は止められそうになかった。
10/15/2023, 4:19:58 AM