〈どこにも書けないこと〉
どのくらいの時間、目の前の紙と格闘しているのだろう。
『進路調査票』と題名の付けられた紙。
クラス担任から受け取ったこれを明日までに提出しなければならない。正直、楽勝だと思っていた。卒業後に何をしたいか、とうの昔に決めていた。しかし、記入欄は空白のまま、もう1週間にもなる。
「何を今更…」
ふたたび、書き込もうと試みる。すると、双子の片割れの顔が思い浮かんで、そして、これまでずっとずっと同じ道を進んできた片割れと、ついに道を分かれるのかと思うと、『あいつ、泣くんちゃうか。』とか『なんや、変な感じするんよなあ。間違うてるんかな。』とか考え出してしまって、やっぱり書き出せないのだ。
「あかん…」
「何が、あかんのや。」
「…いや、何がって……え…ええっ?!」
声を掛けられたのには驚かず、その声の主を確認して思わず大きな声を出して、半分立ち上がり、その弾みに座っていた椅子が倒れる。
「うるさ。そんな驚くことないやろ。」
ふっ、と微かに笑いながら、一級上の彼が椅子を立てようとする素振りに気づき、慌てて自分で立て直した。
「す、すんません。や、だって…先輩おると思わんで…。今日、登校日でしたっけ。」
「いや、借りてた本あってな。来たら、なんや、図書室に珍しい奴がおるなあ、て。」
「はい…」
「ほんで、声掛けた。で、何があかんの?」
突然問われると何から説明すればよいのか分からなくなる。口ごもっていると、
「ああ。進路か。」
机に置かれている調査票を見つけられてしまった。
「迷っとるん?お前はもう、何か決めてるんやないの。」
「え?」
隣の椅子によいしょ、と先輩が腰掛けたのを見て、自分も椅子に落ち着く。
「俺な、高校出たら農家すんねん。」
「…え、そうなんすか?」
「おん。」
成績優秀な彼だ。大学に進むのだとばかり思っていた。進路を初めて聞いて驚きを隠せない。
「ずっとな、」
誰もいない目の前をじっと見つめて、
「ずっと前から、決めてんねん。」
静かに、しかし、その姿勢からは固い決意。
ふいにこちらに目だけ向け、
「お前は?」
と聞かれた。
これは挑発だ。決闘だ。今言わないでどうする、と心の内で自分が騒ぐ。
「…俺は…、俺は、メシの仕事がしたいんです。」
なんとか答えると、初めて口に出したせいか解放感とともにドッと疲労が押し寄せる。下を向いて、膝の上に置いた手を組んだり外したり握ったりしていると、ポンポンと、あやされるように背中を軽く叩かれた。
「お前はなあ、やさしいなあ。」
自分自身では微塵にも感じないことを言われ、訝しげな顔をして見遣ると、彼は今まで見たこともないような優しい笑みを浮かべていた。
「あいつ困らすとか、考えてんのやろ。自分が間違うてるんちゃうか、とか。」
図星過ぎて、
2/8/2024, 7:34:51 AM