夕暮れの金に近い朱に染まる街を、いつものように眺めていた。
行き交う人々の影が伸び、ほんの少し先の動きをする。たった数分。影だけが未来にいる。
それに誰も気づかないのが不思議だった。影の変化に気づくだけの余裕がないのだろうか。人々は常に忙しそうで、誰も足を止める様子はない。
ふと、一人の影が立ち止まった。影の持ち主はそれに気づかず去っていく。
嫌な感じだ。胸を押さえ蹲る影を見て、咄嗟にスマホを取り出しながら駆け寄った。
影に近寄る頃には影の持ち主もまた、立ち尽くしているのが見えた。胸を押さえ、苦しげに蹲る。
それと同時に、手にしていたスマホで迷わず救急車へと連絡をかけた。
思わず溢れた溜息に、隣に座る友人はこちらに視線を向け。僅かに眉を寄せた。
「何だ?悩み事か?」
その問いを、曖昧に笑って誤魔化した。悩み事ではあるものの、どう言葉にすればいいのか分からなかった。
――夕暮れ時。道ゆく人々の影が数分先の動きをしているのが見える。
正直に告げた所で、きっと変な心配をさせるだけだ。
「――疲れた」
正しくはないが間違ってもいない言葉を吐く。
人と影のずれた動きを見てしまうことは、とても疲れることだった。
それでも見てしまうのは、たった数分ではあるが未来を見ることで変えられるものがあるかもしれないと思ってしまうからだ。小さな変化が、やがて大きな運命を変える。そんな可能性を夢見てしまっているからだ。
机の上に伏し、目を閉じる。頭を撫でる暖かな手に、無性に泣きたくなった。
今日は、いつもよりも夕陽が煌めいて見える気がする。
そんなことを思いながら、友人と共に家路に就いていた。
「そういえば、よかったの?」
「何がだ?」
「だって今日、彼女が帰ってくる日だったはず」
今日は久しぶりに友人の姉が帰ってくる日だ。駅まで姉を迎えに行き、それから三人で帰るのがいつものことだった。
「今日は一人で帰りたいらしいからな」
隣を歩く友人は、夕陽に視線を向けながらぼそりと答えた。
その横顔からは、彼が何を思っているのか分からない。しかしその声音はどこか寂しげな、悲しげな響きを含んでいるような気がして、それ以上何も言えなかった。
落ち着かず足元に視線を向ける。いつものように、数分先の動きをした人々の影を見る。
不意に友人の影が立ち止まった。
「どうした?」
酷く不自然な立ち止まり方。反射的に周囲を見回し、影を見る。
こちらに近づく影の一つが歪に揺れる。細長い何かを手に、暴れ出した。
咄嗟にその影と友人の間に割り込んだ。訝しげに眉を顰めた友人は、その次の瞬間驚愕に目を見開く。それとほぼ同時に、体を鋭い痛みが貫いた。
立っていられず崩れ落ちる。痛みは熱に変わり、それもやがては消えて、冷たさだけが残される。
ざわざわと、人が集まってきた気配。煩いと感じる騒めきを、けれど言葉として理解ができない。
人の影が揺れている。友人の背越しに煌めく金色の陽が眩しくて、静かに目を閉じた。
変えることができた。
昔一度だけ見た夢を否定できたことに、満たされた気持ちで意識を手放した。
様々な機械に繋がれ、ベッドで眠り続ける友人を、青年はただ見つめていた。
「どうして……」
何度目かの呟きに答える声はない。そっと触れた手は、あの日と変わらず冷たいままだった。
目を伏せる。繰り返す後悔に、強く握り締めた手が震える。
「変えられなかった」
無意識に溢れ落ちた言葉に、思わず自嘲する。
青年は数日先の未来を夢に見ることがあった。しかし今までは未来を夢に見た所で、それを変えようとは思わなかった。変えることの必要性を感じなかった。
しかしただ一度だけ、夢に見る未来を変えようと動いた。変えたいと思う程の夢を見たからだった。
「すまなかった……」
謝罪の言葉は、無機質な機械音に掻き消されていく。
外の音が遠い。扉一枚隔てた向こう側の日常から切り離されてしまったかのようだ。
込み上げる思いが溢れてしまいそうで、青年はきつく瞼を閉じる。
変えるための行動を起こし、確かに未来は変わった。
あの日襲われたのは、本来ならば青年の姉であった。
崩れ落ちる姉の姿。耳障りな笑い声。呆然と立ち尽くす友人。
確かに未来は変わった。けれども大切なものを失う結果は何も変わらない。
未来を見れたとしても、苦しいだけで何の意味もなかった。
「どうして……」
声が掠れる。握り締めた手が震え出す。
昨夜見た喪服姿の人々の背が、青年の脳裏から消えて無くならない。
震える手を伸ばし、冷たい手を握る。両の手で包み込み、祈るように目を閉じる。
震える唇で名を呼んだ。続く言葉は声にならない。
窓から差し込む夕陽が、青年と友人を赤く染めていく。
伸びた影が揺れた。重なる影が、数分後の動きをし始める。
青年は、それにまだ気づかない。
4/20/2026, 6:06:15 PM