奈都

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お題「誰もがみんな」



「違うことは悪いことじゃない」
「私にも君にも、自由に生きる権利がある」
「誰にも縛られず、素直に生きなさい」

いろんな人からいろんな言葉をかけられた。
慰める言葉、励ます言葉、貶す言葉、いろんな言葉をかけられた。
だけど私にとってそれらは意味のあるものにはならなかった。
薄っぺらだった。
誰もがみんな、薄っぺらな言葉しか使わなかった。

違っててもいいと言えるのは周りと違ってない人たちで、自由に生きる権利があると言えるのはある程度の自由が許される生活をしている人たち。
誰にも縛られずに生きろと言えるのは、誰にも縛られずに生きている人たち。

本当にそういう状況にある人たちからはそんな言葉はかけられない。だって、人を気遣う余裕なんて、あるわけないのだから。そう思っていた。

「私は個性だと思ってるの、だからあなたのそのコンプレックスだって、個性だわ」

自分の火傷跡を触りながら彼女は笑っていた。
誰もが目を引かれるその痛々しい傷のおかげで、みんなにすぐ覚えてもらえるんだと笑っていた。

「家にいるのが怖いから、プチ家出してきちゃった。ちゃんと生活費も渡すからしばらく住ませて?」

増えた体の傷を隠しながら彼女は可愛くおねだりをしていた。
ここにずっと住んでればいいのにと言っても、ちゃんと帰るつもりだよと答えるだけだった。

僕のアパートではテレビを見たりゲームをしたり、お風呂で歌ったりしていた。
不自由な人生の中でも、彼女は懸命に自由を探していた。

「いつかあの家を出て、自分の好きなものを集めた部屋を作りたいの。好きな服を買って、好きな本を買って、あ、化粧にも挑戦しちゃおうかな」

今できないことを嘆かず、彼女はそれを夢として語っていた。
一人になったらやりたいこと。
彼女は心のノートに必死に綴り続けていた。



僕は彼女を助けたかった。
だが、僕は逃げ場の提供しかできない。
そして彼女も、逃げ場しか求めない。この状況から逃げ出すこともしない。

「一緒にどこか遠くまで逃げよう」

言いたかった。何度も言いかけた。でも言えなかった。
僕はその状況になったこともないし、想像もつかない。でも、何度も逃げることに失敗した彼女に、そんな無責任な言葉を投げることはできなかった。
みんなのような薄っぺらな慰めをしたくなかった。


だから僕は決めたのだ。
逃げ回る生活を彼女に求めるのではなく、家から彼女を解放することを。


「少し留守にするから、自由にしてて。それと、この携帯、電話かかってきたら出てもらっていい?」
「……うん、わかった。気をつけてね」

彼女は微笑んだ。僕の考えてることを知ってるかのように、悲しい笑顔だった。

早く君をもっと明るい笑顔にしてみせるから。
きっとそっちの方が、君には似合っているから。

僕は少しの小銭と準備したものを持って家を出た。





鉄の臭いがする。全身から。
僕は一応着ていた雨ガッパを脱ぐ。もちろん手袋はしていない。証拠がなくなってしまう。
血溜まりに倒れている人が数人。彼女の家族だ。
母親と思しき人は、見た目だけは彼女に似ているものの、少し話しただけで性格が全然違うことがわかった。
親子だって他人なのだ。彼女とこの人たちは他人なのだ。

僕は手についた血をぼんやりと眺める。
この光景を見たら彼女は泣くだろうか。きっと、優しい子だから、悲しみ、死を悼むのだろう。
でもその中に少しだけでも、解放された、という気持ちがあればいい。

僕は血まみれの手のまま、この家の電話の受話器をとる。
記憶にある電話番号を押していく。

『……もしもし』
「狭山、おはよう」
『遠藤くん? ……おはよう』

受話器から彼女の声がする。少しだけ日常が戻ったような気がした。そんなことは、周りの景色が許さないんだが。

僕はひとつ息をつくと、今まで彼女に言いたかったことを言い始めた。


君の言葉ひとつひとつが、僕に意味を持たせてくれたこと。
君と見たもの聞いたもの、全てが輝いていたこと。
僕を含めて誰もがティッシュ一枚くらいの言葉しか使わない世界で、君だけは重みを感じさせる言葉を使っていたこと。
君と一緒に過ごして、喜ぶ君を見て、僕は幸せになれたということ。

彼女は黙って聞いていた。鼻を啜るような音がしているのは気のせいか、そうでないのかわからない。
僕のことを思って泣いてくれているなら、少し嬉しい。

「今までありがとう、狭山のおかげで楽しかった」
『待って、私の家なんでしょ? いまから向かうから待ってて』
「ごめんな、そろそろ警察にも連絡しなきゃいけないから」
『なんで……私の』
「さよなら、狭山、ありがとう」

彼女が言いかけていた言葉を遮り、僕は電話を切る。
そのまま警察に電話をかけて、人を殺したことと住所を伝えた。

警察署からそんなに離れてないからもうじきくるだろう。
僕は脱ぎ捨てたカッパを床に広げて寝転がった。

使ったナイフが僕の手から転がる。僕の手とお揃いで血まみれだ。

その体勢で、周りの死体を見る。
父親。酒癖が悪く飲んだ日には暴力を振るいやすい。彼女が顔に熱湯をかけられたのもそのせいだった。
母親。彼女の学力が芳しくないことを自分のせいにされてるからか、彼女に暴言を吐く。暴力についてはあまり振るわなかったらしい。「嫁に行けなくなる」とのことだった。
弟。彼女と同様学力は芳しくなく、母親に彼女と共にバカにされ続けていた。どうにか彼女より上になれるように、教科書を隠したり、カバンからワークを取ったりしていじめていた。

なんでこの人たちが彼女の家族なんだろう。
なんで彼女を愛してくれる人がどこにもいないんだろう。
これからの人生、彼女は愛し愛される人と出会うことができるだろうか。

転がっていたナイフを手に取る。刃に映った僕の顔は、思ったよりも赤くて青かった。

「あなたに、幸せが訪れますように」

僕は自分自身にナイフを振り下ろした。



おわり。

2/10/2023, 1:49:05 PM