眼前には斃れた1人の男。たった今私が、死に追いやった男。
「全て終わりましたね、エレナ」
静かに私の隣に立つ男・グリムは、その手の中で鈍く光るナイフの血を拭い、懐にしまった。
グリムは、黒髪で黒いシャツに黒いネクタイ、黒いスーツを着ていて、全身黒尽くめの男だ。黒尽くめの服装の中で、服に隠されていない白い肌と、人間離れした赤い瞳だけが、色彩を主張している。
「そうね。私の復讐は終わった。私の家族を殺し、私を陥れた奴らはこれで皆殺し。貴方との契約もここで終わりだわ」
私がそう言うと、グリムはその赤を細めて、妖艶に笑った。
「我が契約者エレナ、俺はこれから契約に則り、貴女の魂をいただきます。いいですか。何もやり残したことはありませんね?」
私は、グリムの契約者。復讐に悪魔・グリムの力を借りる代わりに、復讐を完遂した暁には、私の魂をグリムに捧げるという、契約。
「やり残しがあるか訊いてくれるなんて、優しい悪魔ね」
「とんでもない。やり残しのある魂は不味いんですよ」
グリムは、眉間に皺を寄せて、オエーっと言う仕草をする。
「逆に訊くけど、全部終えた私にやり残しなんてあると思うの?」
私が問うと、グリムは顎に手を当てて少し思案した後、何か思いついた顔で人差し指を立てた。
「あの男は?貴女を慕っている男がいたでしょう。あれは良いので?」
「アルフォンスのこと?」
「ああ、そんな名前でしたね。さよならを言うくらいの猶予はあげますよ?」
アルフォンス。復讐に燃える私を何故か慕って、一緒になりたいなんて言っていた人。
「いいの。さよならは言わないで逝くわ。言いに行ってしまったら、それこそやり残しが増えそうだもの」
彼に会って別れを告げるよりも、復讐を終えたこの達成感と虚しさの中、逝きたいと思った。
「そうですか。では、契約を執行しましょう」
私達は向かい合った。グリムが私へ手を伸ばす。グリムの手のひらが、私の胸、心臓の真上あたりに触れた。
「貴方は、私にさよならを言ってはくれないの?」
私が問うと、グリムは可笑しそうに笑って、言った。
「貴方はこれから俺の一部になるんですよ。別れでも何でもないですから、さよならは要りません」
グリムの手のひらから、黒い炎が湧き出て、私の身体に入っていく。
魂と肉体の境界が広がっていく――。
私が私でなくなる直前、最期に見たのは、爛々と怪しげに輝く、赤い双眸だった。
12/4/2024, 9:28:15 AM