花咲いて。
わおすっごい抽象的!抽象的なのかな?具体的?ともかく難しいお題だこと!
毎年、PTAかどこかの団体から必ず妹はパンジーを持って帰ってくる。ビニール袋に入ったその花は、大抵子どもに不人気な色を飾ってやってくるのだ。まず黄色が無くなって、次に白。そうして残った紫を妹は連れてくる。私がそうだったように。
そのパンジーはどれも咲いた状態で学校に贈られるから、土に植え替えるだけでいい。私の家でも近くに住む祖父に頼んで植え替えてもらい、私たちの興味が変わらない限り水を与え続ける。正直な話をすればもって一週間だ。一週間続けば上出来な方。興味が薄れてからは一瞬で、枯れるしかない。
元々私の家は後ろに建物があり、昼でも日陰で涼しい。家の前の駐車場から数歩進めばしつこいほどに日は照るが、進まなければ蒸し暑い空気しかない。日光が与えられない植物は枯れゆくのが当然で、段々と弱る花々に美しさを見いだせなくなった、まだそれなりの感性が残っている子どもたちの興味は次第に薄れていくのも当然のことだ。
だから、幼いなりに私は昔から可哀想だなぁ、と思い続けていた。
何が善意だろうか。一番輝かしい時に手渡されても仕方がない。だってそれから私たちが観測できることといえば衰退のみだ。面白みのない、どこか迫力にも欠けること。花に気持ちとかあるのかは分からないけれど、幸せな老後生活とかあったもんじゃない。種の状態で渡せよ。或いは夏休みに配って、観察してきてくださいねでいいじゃないか。種を植えて水をあげ続け、芽が出て、蕾が成り、咲いて、枯れて、そこまで見させてはくれないものか。愛着もへったくれもない。なかったから。
この雑草まみれになったプランターを見て、私はもうどうすればいいかさえ分からなくなっている。
私はもうそこそこに成長して、所謂青春を送っている、らしい。高校で起きた話をする度、高校に通った経験の無い身内は羨望の眼差しをこちらに向けてきた。新しい友達、新しい環境、自由でなんだって出来る謎の自信。自分に悩み、友達に悩み、家族に悩み、進路に悩む。赤点を回避して喜び、平均点以上で安心し、順位で絶望する。
パンジーの賞味期限は短い。花咲いて、枯れ果て朽ちるのみだ。いや、逆に雑草がこうして周りに居てくれるだけ、恵まれているのではないか?
……私の賞味期限は、いつなのだろうか?
あと、二年か。
受験に合格したことを、人は「サクラサク」なんて言うらしい。つまりその時点で、人というものは人生のピークに達しているのではないかと思うのだ。
ならば、あとは衰退のみ。
花咲いて、枯れるのが自然の摂理だ。
あぁ、そう思えばこのパンジーが憎く思えてきた。枯れてもなおこいつの周りには誰かがいる。何か起こさなくても近くに居るのは、狡い。こちとら枯れたら他人の迷惑になるだけなのに、枯れても誰かの力になるなんて、狡いじゃないか。
雑草からパンジーだったものから全て引き抜いて、土ごと新しく入れ直す。軽く土を耕してから、丁度昨日、妹が持って帰ってきた紫のパンジーをプランターの中央に植えた。申し訳程度に水もやってみたところで、途端自分の思考に虚しさを感じた。
枯れた直後に引き抜いたら、それは看取ってしまうことになるじゃないか。なんだかそれは気に食わない。私がこいつのことを忘れずにいても、こいつは私の一番輝かしい時期を忘れないどころか枯れる瞬間を見届けてくれる訳でも無いのに。
共に祖父に忘れられてしまったという共通点だけで些か過信しすぎた気がする。結局はお互いちゃんと自然の摂理に則って朽ちればいいだけのことだ。
そう、結局は花咲けば枯れるだけ。でも、枯れても枯れたなりの良いことだってあるはずだ。
例えば、ほら。私より五年遅く咲いた花の引き立て役になるとか、さ。
7/23/2023, 10:59:18 AM