紙ふうせん

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『半袖』

私はどんなに暑い夏でも、決して半袖を着ない。

クラスのみんなが、涼しげにきれいな腕を出して半袖の服を着ていても、私は長袖であまりにも暑いとボタンを外し、一つまくり上げるくらい。
絶対に半袖を着ないので、クラスメイトに「何故、めぐみは半袖を着ないの?暑いのに」と、よく言われる。
その度に私は「なんか、半袖って好きじゃないの」と言ってごまかしている。
昔は高校には制服があったと聞く。今でなくて良かった。衣替えの日、みんなが一斉に半袖の制服になるなんて拷問だ。

だけど本当は、あんな風に涼しげに腕を出せたら。でもとても無理だ、と思い諦めていた。

私は、あまり友達がいない。
話しかけてくれる子はいるけれど、私なんかと友達になっても楽しくないと思うから、なんとなくみんなと距離をおいてしまう。

私は母に愛されてない。いつも母は憎々しげに「だいたい、あんたが出来なければ、お父さんとなんか結婚しなかったのに」と言う。
そして更に、私の右腕のひじ近くに、けっこう目立つあざがある。
いびつな形の赤紫色のあざ。

母は、たまたま私がお風呂あがりの時に腕が出ていると、さも嫌そうに「みっともないあざね」と突き放すように言う。そう言われると私が悪かったように、慌てて部屋に行く。

それなのに、妹は母に愛されている事が私はいつも不思議だった。
一度、思い切って母に聞いた事がある。「どうしてお母さんはあの子は可愛がるの?」
「だって、あの子は私が本当に愛した人の子供だから」何でもない事のように母が言う。つまり妹は不倫して出来た子、という事だ。
「あんなお父さんの子なんて、もうまっぴらだもの」と私に向かって言い放つ。

考えてみれば、なんとも理不尽な話だけれど、それでも私は母の愛情が欲しかった。妹を見る母の目はとても優しい。あんな風に一度でいいから、見られたいと、今日も叶わぬ夢を抱く。
だからか、私は可愛げのない子に育った。自分でもこんな自分が嫌いだった。
いっそ死んだら母は泣いてくれるかもしれない、と思い、カッターナイフを手首に押し当てたけれど怖くてだめだった。死ぬ事も上手く生きる事も出来ない、中途半端な私。

その日はいらいらしていた。朝から楽しそうに笑って話す母と妹を見てしまったからかもしれない。

いろいろな感情が複雑に絡み合って、もう何がなんだかわからなくなっていた。学校に行こうと家を出たけれど、なんだか学校も嫌で、途中の公園でベンチに座ってただ空を見ていた。

「なんだ、サボりかよ。大胆だなお前」不意に声をかけられ、びっくりした。それでつい「ああ、びっくりした」と言ってしまった。見ると同じクラスの中島くんだった。
「中島くんこそ遅刻じゃないの?もう」と言うと、何故か彼は私が座っているベンチに、少し距離をおいて座るのだった。
「お前さ」と、突然中島くんが言った。
「なんで、いつもひとりでいるんだよ、声かけてくれる友達いるのに」それに、と更に言った。
「なんで、暑そうな顔しながら、長袖着てんだよ」と言う。私の気持ちなんてなんにも知らないくせに。
私は朝から引きずっているいらいらを、つい中島くんにぶつけてしまった。「友達なんていない、可哀想だと思って時々誰かが声をかけるだけ」そう言うと自分がみじめで更にいらいらが増し、とうとう中島くんに
「これ、見てよ」と、いきなり長袖のボタンを外し、思い切り袖を上に押し上げた。醜いあざが丸見えになる。
「こんなみっともないあざがあるのに半袖着れると思う?」と言った。

気味悪がるだろうと思ったのに、中島くんは何も言わない。引いたのかな、そうだよね、と思っていると、いきなり思ってもみない事を、言った。
「きれいじゃない、それ、ちょうど赤紫色のあじさいの花びらみたいだな」
「このあざが?!きれい?」思わず、他人事だと思って、と腹立たしさがこみ上げ「適当な事、言わないでよ!」
と、叫んでしまった。言ってから、後悔した私はうなだれて「……ごめんね」と言った。

黙って、ふたりで座っていた。
空にはのどかに飛行機が飛ぶ音がしている。

「俺んちさ」急に中島くんが、独り言のように話し出した。
「いっつも親父とお袋が喧嘩しているんだ。それ見ていると嫌になってきてさ、なんで子供は親を選べないんだろうな、なんて思うよ」と言うので驚いた。
中島くんは、クラスでいつも明るい。だから友達も多い。
ああいう、両親に愛されてそれを当たり前だと思って生きてる人もいるんだ、と今まで冷ややかに見ていたのに。
「本当だよね。勝手に子供を産んでおいて、あんたがいなければ、なんて言われても私にはどうしょうもないもの」と、誰にも言えなかった胸に溜まっていたモヤモヤを言葉にした。

「お互い、親には苦労するよな」笑いながら中島くんが言うので、つい私もつられて「本当だよね」と笑ってしまった。

そして、少しためらってから言った。「ねぇ、こんなあざみたいなあじさいの花、本当にあるの?」すると中島くんが「あるよ、教室の廊下の窓から見えるのに。知らなかったの?」と言う。私はなんだか気持ちが軽くなっていく事に驚きながら、言った。
「じゃあ、その花を見て、きれいだと思ったら半袖になるよ」
「なるさ、すごくきれいだもの」

空を見上げる。青空がどこまでも続き、きれいだ。すると中島くんが
「青空ってさ、きれいだけれど」
「どんよりした曇り空で雨がじとじと降らないと、あじさいはきれいに咲かないんだよ」と言った。

そうか、あのきれいな花は鬱陶しいとみんなが思う雨が降らないときれいに咲かないんだ。

私は勢い良く立ち上がり、中島くんに言った。
「もう、完全に遅刻だね、学校、行こうか」
すると中島くんも立ち上がり
「そうだな、ふたり仲良く怒られるか」と言うので思わず笑ってしまった。すると急に顔をそらして
「お前、笑っている方がいいよ。すごくいい笑顔でかわいい」そらした頬が少し赤い。

胸に暖かいものが広がり、いい人だな、と思った。

中島くんの言ったとおり、ふたり仲良く先生に怒られ、クラスメイトからは冷やかされ、私は笑っていた。

休み時間に、教室の廊下の窓から見てみた。本当だ。私のあざみたいな赤紫色のあじさいが咲いている。花びらって、よく見ると歪なのもあるんだ。まるで本当に私のあざとよく似ていた。

こんなところのあじさいに気づく中島くんは、明るく振る舞っているけれど、心には苦しい悲しい物を抱えていたんだ。

翌日、私は半袖を着て行った。少し勇気が必要だったけれど。
教室に入ると、いつも話しかけてくるクラスメイトが「おはよう、めぐみ、半袖着てるじゃない。なんで今まで着なかったの?」と言うので、笑顔で腕を見せて「ほら、ここに赤紫色のあじさいの花みたいなあざがあるでしょ?今まではこれが嫌で半袖着なかったの」と言うと、何でもない様にその子が「本当だ、あざがあったんだ。でも、たしかに教室の廊下の窓から見えるあじさいに似てるね」と言ったのでびっくりして、「知ってたの?」と言うと、肩を揺らしてその子は笑って「いやだ、めぐみったら知らなかったの?みんな知ってるよ」と言った。

なんだ、みんなちゃんとあの花に気づいていたんだ。みんな、もしかしたら何かを抱えているのかな。

私は、初めてその子の名前を呼んだ。「菜月、今まで何度も話しかけてくれてありがとう」菜月は、当然のように「だって友達じゃない」と言った。

私は、私だけ不幸だと思ってひがんでいただけなのかもしれない、と思うと急に恥ずかしくなった。

「なになに?突然顔を赤らめて。今朝は中島とふたり仲良く遅刻するし」そして、菜月が言った。
「帰りにお茶しない?ちょっと聞き出したい事、あるからね」
私は笑顔で「うん、いいよ。でも何を聞きたいの?なんだか怖いなあ」と言った。

5/29/2023, 4:17:23 AM