はじめて喧嘩をした。出会ってから今まで、共有できる時間はできる限り、共有してきた。元は同じ存在だったのかもと思えるほどに、好きも嫌いも、考えも、いっしょだった。だから、衝突するなんて思いもしなかった。喧嘩なんて、わたしたちには無縁なものなのだと思っていた。
「……あのね。お引越しをすることになったの。だから、同じ中学校には通えなくなったの。約束、守れなくて、……ごめんね」
最初、何を言われたのかわからなかった。思考停止のあと、じわじわと思考を埋め尽くしたのは怒りだった。
「……なんで? ずっと、いっしょって、言ってたのに。……嘘つき。……嘘つき!」
ひどい言葉を投げかけた。傷付いた顔をしていた。傷をつけたかったわけじゃないの。横で、笑っている未来を願っていただけ。家に帰ってから、後悔した。きみだって、わたしと同じ思いでいてくれたから、あんなにも悔しそうなひとみで謝ってきてくれただろうに。苦しんで、苦しんで、それでも誠実であろうとしてくれていただろうに。
それから数日、わたしたちはずっとギクシャクしていた。あんなにいっしょにいたのにね。傍にいられる時間も、刻一刻と減っていくのに、何をしているんだろう。人も疎らな放課後の教室で一人ぽつり、思わず溜め息が零れ落ちる。あーあ。机を睨みつけていると、ふ、と机に影がかかった。
「……おまえら、あんなにベッタリだったのに最近いっしょにいないけどどーしたの」
顔を上げると、クラスメイトの一人が不思議そうにこちらを見ていた。ふだん、あまり話さない子。そんな子にまで、ベッタリ、という認識で見られていたことが少し恥ずかしい。
「そんなにベッタリしてるように、見えた?」
「見えた。たぶん、クラスのやつらみんな気になってると思う。喧嘩でもしたわけ?」
……図星に、思わず固まってしまう。彼は呆れたように目を細めていた。
「わかりやすい反応ドーモ。あいつ引っ越すんだろ? 喧嘩の原因、もしかしてソレ? ……しょーもな」
「しょうもないって! そんなこと言われる筋合い……!」
「二度と会えないわけ?」
「……そ、そういうわけじゃ」
「じゃあ、会いにいけばいいだろ。それとも会いに行くのは面倒?」
「ちがう、そんなことない!」
「じゃ、いいじゃん」
あまりにも簡単に言われて、頭がぐるぐると回った。ぜんぜん、いいじゃんじゃない。同じ学校に通いたかった。けれど、会うことは、きっとたしかに、できる。……わたし、何に、怒っていたんだろう。彼はさらに、言葉を紡いだ。
「いいの? 仲直りしなくて。来月には引っ越しって聞いたけど」
「……う。うう〜〜〜っ」
唸ってしまった。彼は目を丸くしたあと、可笑しそうに笑っていた。ひどい。思わず彼を睨むと、彼の後ろからひょっこりときみが現れて。睨むはずのひとみは力を込めかねて、気の抜けた表情になってしまった。一頻り笑った彼は、満足したように小さくもう一度笑い、あとはお二人でドーゾ、だなんて言いながらどこかに行ってしまった。
「……あのね、話を、しない?」
恐る恐る、わたしの様子を見ながら言葉を向けてくれるきみ。毎日、あんなに笑顔を向けてくれていたのに。今は、とても辛そうで。きっと、わたしがきみにこんな表情をさせてしまっている。こんなはずじゃ、なかったのに。
「……うん。……でも、その前に言いたいことがあるの」
「……! なに……?」
怯えた表情。わたしが作り出したものだ。心に刻み込む。
「……ごめんなさい。ひどい言葉を言って、ごめんなさい……! 嘘つきなんかじゃないって、わたし、知ってる……! ほんとうに、ごめんなさい……!」
必死に、心の裡を打ち明けた。驚いたこと。寂しかったこと。八つ当たりしてしまったこと。きみは静かに聞いていた。見るのがこわくて、途中からきみの顔を見ることもできなかったけれど、きみは最後まで耳を傾けてくれていた。
「……そっか。あのね、わたしも、言いたいことがあるの。お引越しが決まって、悲しかった。約束を守れなくて、悔しかった。一緒にいられなくなることが、寂しかった。傷付けてしまったことが、辛かった」
言葉にしてくれた思いに、申し訳なさがさらにつのる。傷付いたきみに、さらに傷をつけてしまった。
「……でもね、ありがとう。思いをぶつけてくれて、ありがとう……! もう、最後まで、話せないかもって。わたし……!」
なのに。きみはありがとうと言ってくれる。泣きそうな顔で、でも、口は笑みの形で。
「……引っ越してもさ。会いに、行ってもいいかな」
「……! もちろん! 新しいお家にも、来てほしいな」
「うん! ぜったい、ぜったいに行くね。……ずっといっしょだよ。ちゃんと、遊びに行くから」
「! ふふ、うん。約束だもんね。待ってるね」
お互いに目を真っ赤にしながら、もう一度同じ約束を交わし合った。目は真っ赤だけれど、どちらも、晴れ晴れとした表情で。
今日だけで、わたしはきみの色んな新しい表情を知った。そういえば、わたしたちはいつも隣り合っていたから。同じ方を見て、笑い合っていたから。こうしてお互いを見つめ合う機会って、なかったのかも。
隣にいなくても、こうして向き合うことはできるって、知ることができたから。いつの間にか二人だけの教室で、わたしたちは笑い合ったのだった。
テーマ「向かい合わせ」
8/25/2024, 11:16:52 AM