酔生

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「失礼ですが、いくらならあなたの名前を私に売ってくれますでしょうか?」
この雑踏の中、突然一際目立つ小汚い男が話しかけてきた。
「何言ってるんです、貴方は。いくらだって売りませんよ」
私は露骨に怪訝な顔をし、答えた。なぜなら私はこのような小汚い男が大嫌いだからである。しかも名前を売ってくれだと?この私に対して、あまりにも無礼だ。心の中で何度も男を罵る。そうしていると、この男は洗ってないと見られるコートの中から、のそのそとお金を取りだした。
「あなたの名前はきっと高く売れる。何がなんでも、手に入れたいんです、お願いしますどうか」
懇願する男の手に握られている紙幣に視線を移す。私はまたムッとした。なんてくしゃくしゃで汚い紙幣なんだ。こんなもの、誰が受け取ってやるものか。
「いえ。名前は大切な親がつけてくれたもので、売るためにある訳じゃないので」
私は丁寧に、(だからさっさとその汚い紙幣を引っ込めて、私の目の前から消えてくれ)という意味を込めて言った。
「なるほど、立派なお考えだ」
男は一瞬頷いたかと思うと、口元に奇妙な笑みを浮かべてこう言った。
「しかし、だがね、名前はそんな純粋なものではないですよ。特にあなたのお名前はね」
妙に癖のある男の口調に煽られ、私はつい苛立った。
「は、どういう意味です」
また男は奇妙な笑みを見せる。不気味で、腹が立つ顔をしていて……なんて……なんて……私の神経を逆撫でする男なんだ。しかし次の瞬間、男の口から衝撃の言葉が伝えられた。
「あなたの名前は、もう何度も使い古されてる中古品なんですよ」
「……何、言ってるんですか」
私は苛立ちながら問い返した。けれど、その苛立ちの裏には妙な不安が潜んでいる。
「かつて、何人もの人間がその名前を使い、同じように生きてきた。その度に、名前には彼らの業や記憶が染み付いていく」
男は口早に続けて言う。
「そうすると、どんどんとこの名前を使うものは性格が歪んでいく。周りから人が離れ、最終的にみんな同じ最後を迎えるのです。さて、聞きますが。まだ名前を売ってくださらないのですか?」

1/18/2025, 7:04:36 PM