【微熱】
ピピピ、と電子的な音を合図に脇から引き抜く。
「あー……だる」
表示された数値に思わず声が出る。
ついでにけほんとひとつ。
「はい、はい……すみません」
電話越しに悲しいほど日本人を顕す母親の姿が視界から消え、ため息をつく。疲れてるわけでも、呆れがある訳でもない。ただ、こうして歩き回れる程度に体調はマシなので、学校へ連絡するのは多少なりとも罪悪感がある。が、病原菌を撒き散らすことこそ本意では無いので、母の忠言に従ってこの身をベッドに倒しておくことにする。
熱はそれほどでもないが、普段感じない倦怠感も過度にそれを手伝っている。
ボスン、と体が柔らかさに埋まる。
火照った体に、冷えた毛布の外面が心地よい。
だが、火照りに気を遣わなくなった分余計なことに気が向く。先程も触れたが、学校を休むこと自体に対してはなんとなく罪の意識はあれど納得している。けれど、
「あいつがなぁ」
懸念点は、いつも一緒にいる彼の事だ。
きっと、私の不在を知って元々垂れている眉の端を更に下げていることだろう。
「ふふ」
少しばかり愉快。可愛いヤツめと撫でくりまわしたい。
それはそれとして。彼は恐らく見舞いに来るだろう。なんたって可愛い私の彼氏だ。だが、その彼に移してしまうのは私の本意では無い。会う時間がもっと減ってしまう。
「後でお母さんに言っておかないと」
彼が来ても見舞い品を受け取るだけにしてくれと。
本音を言えば……いや、我慢できなくなるからやめておくか。多少弱気になっているみたいだ。
彼がくれたお気入りの指輪を撫ぜながら、そんなことを考える。意識が閉じていくのにも気づかずに。
くしゅっ。
「……んぅ?」
いつの間にか眠っていたらしい。
目を閉じる前に、外に放り出していた体が毛布に収まっていることから母の来訪を知る。後で怒られるだろう。
そして。
「あ、起きた?」
愛しい彼がベッド脇にいた。
「だいぶ珍しいね」
「なにが」
「君がそんなふうに恥ずかしがるのって、キスしたり手を繋いだりする時ぐらいかと思ってた」
「私だってこれでも乙女だからね、化粧も何も無い格好で気になる人の目の前にいることに恥を隠せない感性は持ち合わせている」
「いつも可愛い乙女だけど」
「生意気」
好きな人にあられもない姿を見られ取り乱した挙句、ベッドに頭すら潜り込んでから少し。
熱で顔を赤くしながら彼と会話を楽しむ。母に伝える前に寝てしまったから、仕方ないのだが普通に失敗だったな、色々と。
目元だけ毛布から彼を眺めると、優しい笑顔でこちらを見守っている。脇の小机にはビニール袋。見舞い品だろう。
「今日はすまないな」
「ん、どしたの?」
「いや、母に伝えて、君に移さないよう会わないつもりだったんだけど」
「じゃあ、むしろ良かったよ。1日も君の顔見れないなんて耐えられないから」
「私にべったりすぎだ」
「にやけてる状態で言われてもなぁ。あ、そうだ」
彼が立ち上がる。
「私を置いてどこに行くの?」
「君もべったりじゃんか。いや、君が起きたらご馳走しようと思ってたものがあって」
そういうと、私の好きな笑顔で彼はこう言った。
「ね、ホットチョコレートすきだったでしょ?」
彼が持ってきたマグカップから、甘い香りがふわりと漂う。好きな人が好きなものを持ってきてくれて、それが家の中。実質夫婦ではないだろうか。
「変なこと考えてない?」
彼の物言いたげな目線すらも、シーンに盛り込んだ演出に見えてますます顔がにやけてしまう。
「いいや。幸せだな、と改めて感じてただけ」
「正面から言われると照れちゃうよ」
「いつものお返しだ」
「じゃあ僕もいつものお返し」
身を上げた私に、マグカップを渡す。
優しいブラウンと渦を巻く甘みが彼の瞳と瓜二つだ。
「ありがとう」
「こちらこそ、いつもありがとう」
せっかくの感謝も愛情で隠されてしまう。
それがなんとも面映ゆい。
照れ隠して、チョコレートに口をつける。
口の中で風味が溶ける。湯煎されてとろりとしたソレは、愛情に味があるのであればこんな味だろうと思わせる。それを与えてくれた彼は。
チラリと見やると、彼は変わらず、いやより強く。
甘さが見える優しい笑顔で、本当に嬉しそうにこちらを見ていた。
それを自覚した心が、体の熱さを増長させる。
きっとこの微熱が溶けることは、おそらく生涯ないだろう。
「え、どうしたの急にこっち近づいて……わ」
「好きだよ」
感じてる気持ちが、彼の中に残りますように。
11/26/2024, 10:28:31 PM