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三、Love you
「ワルツを踊れるか」
窓から差し込む月明かりがぼんやり書斎を照らす夜。走らせていたペンの動きを止め、この部屋の主であるアルバートはふと思い出したようにすぐ傍に控えていたハウスメイドの少女に問いかけた。
「わるつ」
聞き慣れぬ三文字にミアは首を傾げる。
「ダンスだ」
「おどれません」
「だろうな」
今の流れでこの少女が踊れぬことを想像するのはアルバートにとって容易かった。
「近々公爵家主催の晩餐会がある」
主人のその言葉に、ミアは今朝方、この国有数の公爵家から速達で届いた一通の書簡を思い出した。
「招待状のやつですか」
自ずと答えを導き出したミアに、アルバートは小さく頷く。
「そうだ。先日十六を迎えた娘のデビュタントを祝うものらしい」
アルバートの口から自然とため息が漏れる。
「その娘のエスコート役を頼まれた。……公爵直々の頼みだからな。断ろうにもまず無理な話だ」
「それは素敵ですね」
「今の俺の顔を見てもう一度同じことが言えるのか、お前は」
「……お疲れですか? そろそろお休みになられてはいかがでしょう。夜も遅いです」
ズレた気遣いを働かせるミアに、そうじゃないとアルバートは苦虫を噛み潰したような顔で睨みつけた。
「晩餐会の余興としてダンスがある。エスコート役を買うということは初回のダンス相手も務めなければならないんだ。……考えるだけで気が滅入る。お前と話している方がまだマシだと思うくらいにはな」
またもため息を零す主人に何と声を掛けるべきかミアが逡巡していると、アルバートはそんな彼女を他所におもむろに立ち上がった。
「手を貸せ」
「えっ」
アルバートがミアに近付いたのもつかの間、気付けば二人は部屋の中でステップを踏んでいた。
「……あの、ご主人様」
自分の置かれている今の状況が理解出来ずに困惑するミアは、おずおずと己のダンスパートナーに声を掛ける。
「なんだ」
「私、踊れません」
「踊れてるだろ」
「それはご主人様がリードして下さっているからです」
「それがダンスだ。お前は何もせず、そのまま俺に体を預けていればいい」
そう言われてしまえばミアは口を噤むしかない。二人はそのまま、音のない部屋の中でワルツのステップを踏み続ける。ワン、ツー、スリー。ワン、ツー、スリー。
「……上手いな。踊るのは初めてなのか?」
「はい。初めてです。……わっ」
アルバートの問いにミアは答えるや否や、片足を踏み外してバランスを崩した。倒れ込むミアをアルバートは優しく抱きとめる。
「ご、ごめんなさい……」
せっかく上手に踊れていたのに。
自分の片目が見えないことを悔やんだのは、果たしてこれで何回目だろうか。ミアは俯いた。
「気にしなくていい。寧ろ、どこぞの令嬢と踊るより先にお前と踊りたかった俺の我儘を聞いて貰えて助かったくらいだ」
「えっ?」
それは、どういう。
顔を上げるとアルバートと目が合う。
「……その昔、 "I love you"の一文を『愛してる』ではなく『月が綺麗ですね』と訳した男がどこかの国にいたらしい」
アルバートの口から唐突に紡がれた台詞に、ミアは窓から覗く白金色の月を見上げる。夜の空に静かに佇むそれは、いっとう美しく輝いていた。
「ご主人様は物知りですね」
「……もういい」
相変わらずズレた返答をするミアにアルバートはたまらずそっぽを向く。気持ちを切り替えるべく軽く咳払いをすると、アルバートは再び目の前の少女に向き合った。
「もう一度、私と踊って下さいますか。レディ」
差し出された手に自分の手を重ねる。言葉はなかったが、それがミアの答えだということは明白だった。

そうして始まる軽やかなステップ。いつまでもワルツを踊り続ける二人を、夜の空に浮かぶ月だけが、優しく見守っていた。





2/24/2024, 5:36:56 AM