毛布

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風に乗って、といえば皆さんご存じ「風船爆弾」ですよね。

これは、気球に爆弾を搭載して、偏西風に乗せてアメリカ本土ヲ爆撃セシメン、という戦略で、陸軍登戸研究所で開発され、大本営陸軍部直属の気球連隊によって運営されたらしい。

1944年に帝国海軍がマリアナ沖海戦で大敗してしまい、米軍との兵力差を解決すべく特殊兵器の開発が急務とされます。そこから始まったのが風船爆弾(ふ号兵器)の開発でした。

しかもこの気球、丈夫な楮(コウゾ)製の和紙に蒟蒻糊を塗布して水素を注入したもの。この開発は極秘機密とされ、関与した和紙職人や蒟蒻職人の家庭が荒れるほどだったとか。実際に製作したのは、学徒動員された女子学生や景気が悪くなった芸者さんたちとかで、各地の蒟蒻製造業者が「蒟蒻統制組合挺身隊」として徴用(!)され技術指導したらしい。これが1日12時間以上の長時間労働で、例のヒロポン配給もあったとか。

気球連隊は第一大隊(茨城県大津)、第二大隊(千葉県一宮)、第三大隊(福島県勿来)の編成で、この3か所から1944年11月3日より放球開始。1945年3月までに9300発が放球されたらしく、そのうちアメリカ本土に到達したのは1000発程度。あまり戦果はなかったものの、もちろん開発目的そのものも当初から心理的撹乱です。でも、原子力爆弾を開発していた基地の送電線に引っかかったりもして、工程が3日間遅れたんだそう。またアメリカ政府は、この風船爆弾による攻撃を徹底的に隠蔽したそう。

そんな風船爆弾ですら、材料不足から1945年3月に製造中止になります。

いやいや、核兵器なんか開発してたアメリカが、歴史上で唯一本土爆撃を許したのが、女学生や芸者さんたちが和紙に蒟蒻ノリぬって作った風船(ふ号兵器)だった。これは近代戦の歴史に残すべき快挙ですよ。ラスボスをセコい技でハメる感がある。

敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部は日本の航空機の実験、開発を禁止しますが、そこにはわざわざ気球も含まれていて、1948年に日劇がアドバルーンを上げたときなんか、慌ててGHQが2日間で中止にしたらしいですよ。トラウマですね?

「風船だから『ふ号兵器』でありますっ、製作には芸者衆を動員いたしますっ」「貴様、ふざけておるのかっ」「新橋の玉奴も、最近大佐もお見限りだし、東京もそろそろ危ないんじゃ、どっかで風船ぐらい作ります、と言っておりました」「採用っ」みたいなことやってた人たち、御炯眼でした。

4/29/2026, 11:32:15 PM