かたいなか

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「中国の『足首の赤縄』、ユダヤの『左手首の赤い毛糸』、ベツレヘム近郊の『墓所に巻いた赤糸』、ギリシア神話の『迷宮攻略の赤い糸』。それから日本の『藤原道長の指と阿弥陀如来像を繋いだ五色の糸』にシャーロック・ホームズの『無色の糸束の中に交じる緋色の糸』。『赤糸こん』てコンニャクまである」
恋愛だけじゃなく、お守りとしての赤糸もあるのか。某所在住物書きは本棚の本とスマホの画面を行き来しながら、「赤い糸」のネタを探していた。
「赤い糸ラーメンに、赤い糸ビール、赤い糸入りペアジュエリーまであるぜ。何でもあらぁな」
赤糸唐辛子の画像を見ながら物書きはため息を吐く。
――で、どれをネタにして書こうか。

――――――

アリアドネの糸【アリアドネ―の―いと】
困難な問題・状況に対して、それを解決する正しい道しるべとなるもの、その比喩。
ギリシア神話において、アテナイの王子テセウスが大迷宮ラビュリントスを攻略する際、ミノスの王女アリアドネが、大迷宮攻略の道しるべとして、彼に一振りの剣と、麻の糸玉を手渡したことにちなむ。

なお一説には赤い糸。大迷宮攻略後、アリアドネは恋焦がれたテセウスと共にアテナイへ向けて船に乗ったが、デュオニュソスに激しく見初められてしまう。
テセウスとの恋は実らず、アリアドネはデュオニュソスの妻となった。

「ダメじゃん!『赤い糸』機能してないじゃん!」
「いや、すべての赤い糸が恋愛成就を意図した物というワケではないと思うが」

職場で長い付き合いの先輩が、レンタルで借りてるロッカールームに本を取りに行くって言うから、ついていってみた。
先輩のロッカールームは図書館だ。本専用倉庫だ。
「赤い糸は全部赤い糸だよ先輩。小指に結んで、運命のひとまで繋がってて、いつか出会わなきゃだよ」
「……お前『緋色の糸』って知ってるか」
「弾丸なら観た」
先輩のアパートの部屋は、ほぼほぼ全部が最低限だ。テレビも冷蔵庫も小さいし、ソファーもクッションも無い。最近オーブンレンジが増えたけど、大型家具っていう大型家具が全然無い。
まるで突然「明後日あたり夜逃げします」って言っても、ガチで可能そうな少なさだ。

その先輩が、それでも好きで集めてるらしいのが、いろんな学術書とか専門書とか、難しい系の図鑑とか。
「恋愛など、ドーパミンとコルチゾールと、頭のブレーキの鈍化が引き起こす本能だろう」
一番読みたい本だけ部屋に置いて、残りはこうやって、大きい大きいロッカールームに預けてるみたい。
「脳科学的に、恋は衝動だ。運命のようにあらかじめ、予約されているものではないと思う」
哲学、心理学、法律、犯罪心理学、科学、医学。
先輩の読む本は、娯楽が無い。私がいつも読んでる本と、先輩がいつも読んでる本は、どこも重ならない。

そんな娯楽皆無の大型ロッカールーム図書館に、『世界神話辞典』なんて本があったから、パラっと適当に開いて出てきたのが「アリアドネの糸」だった。
一説には赤い糸って。アリアドネはテセウスに恋をしてたって。それで別の神様が横取りしちゃったって。
おい赤い糸仕事しろ(※素人の意見です)

「赤い糸。あかいいと、ねぇ」
目当ての本をスポスポ抜いて、かわりに戻す本をポスポス戻して。用事が終わったらしい先輩が言った。
「……私の糸は首絞め糸だったんだろうな」
ほら、帰るぞ。私の背中を押す先輩が、すごく小さな呟きを吐いたけど、
多分それは先輩の心をズッタズタにしたって噂の、初恋の人の話だったんだと思う。

「それこそ『緋色の糸』だったんじゃない?」
「えっ?」
「赤じゃないもん。緋色だもん」
「……それだと元ネタ的には私多分殺されるが?」
「なにそれ先輩死んじゃダメ」

7/1/2023, 5:37:21 AM