「愛−恋=?」
写真映えを狙ってか、黒板アートにでかでかと書かれたそんな落書きを見たとき、僕は鼻白んだ。
この等式は成り立たないだろう、そう思った。
なぜなら、愛に必ずしも恋が含まれていることはないからだ。
最初から含まれていない要素を取り除こうとしても、それは物理的にできることじゃない。
式の答えを出す前に、この式に当てはめられた「愛」に「恋」が含まれているかどうかを検討しなければならないだろう。
0から1を引くということが、物理的に難しく、実現するためにはまずその整数が1以上であるかを確かめなくてはならないように、この等式を解くためには、まず、愛を確かめなくてはならないだろう。
そこまで一人で考えて、結局僕は黒板の式を写真に収めた。
厳密に考えるとおかしい等式でも、思春期真っ只中の、青春臭い文化祭に参加している高校生の僕の今を表すには、ぴったりの等式だと思ったからだ。
やたら爽やかで押し付けがましい青春の臭いを充満させたその黒板を、いくつか別の角度で写真に収めてから、僕は部屋を出た。
「愛−恋=?」
黒板にデカデカと白く書かれていたあの式は、写真を見返さなくとも、僕の網膜に焼き付いている。
?の下の点が赤チョークのハートになっていたところまで、くっきりと覚えがあった。
僕は、あの等式について考える。
恋愛というからには、確かに恋が含まれる愛もたくさんあるのだろう。
しかし、恋を伴わない愛は、恋を含む愛以上に多様に、たくさんあるはずだ。
恋みたいに、相手の長所や個性に惚れ込んで愛を抱かなくても、
そんなものは関係なく、ただ関わり合いがあるというだけで、無条件に抱ける愛だってある。
たとえば、知り合いのどうしようもない悪童や変わった問題を抱える小学生にも、関わりがあるというだけで、どうにか幸せになってほしいと思ってしまうような感情。
たとえば、なんとなく気が合う、ただ年齢が近いから一緒にいるようになった友人に、できるだけ楽しんで喜んでほしいと願うような想い。
たとえば、複雑に絡み合った面倒臭い関係だけれども、長年そばで見てきたものだから、なんとかして幸せな関係性にしてやりたいと切に願うような気持ち。
それだって、愛と呼べるはずだ。
校舎を出る。
イベントを取り行っているときの高校には、青春の臭いが、やたら充満している。
エモさと映えと爽やかなエネルギッシュさをごちゃ混ぜにした、騒がしくて押し付けがましい匂いが、充満している。
その青春臭さをファインダー越しに眺めて、シャッターを切る。
写真部として、青春の青臭い一瞬を閉じ込める。
そうすれば、押し付けがましく鬱陶しい青春臭さが、少しマシになるような気がするから。
僕は、カメラを抱えて、一人で文化祭を回る。
高校の敷地内は、どこもかしこも喧しい青春で埋め尽くされている。
10/15/2025, 1:55:24 PM