「通行手形」
紺色の電車が終点に到着した。そこは異世界への入口だった。覚悟を決めた顔つきの面々が次々と電車を降りる。係の者に通行手形を押されたら、もう現世には戻れない。茶色いボストンバッグに最低限の荷物だけ入れて、ためらいもせず係りの者に手のひらを見せた。通行手形を押されようとしたその時、ハッとした表情で私を見ると他の者を呼んだ。3人が私の手のひらを見てざわつく。
「どうしたんです?早く通行手形を押してください」
1人が意をけして神妙な面持ちで答える
「あなたに通行手形を押すわけにはいきません。どうかお戻りを」
深々と頭をさげる。
「なぜです?私はもう現世に未練などありません。いいから早く押してください」
なぜ?意味がわからない。予想外のことに脳が混乱する。希望者は全員通すルールではなかったか?
「ここで今通したら、あなたは絶対に後悔する。あなただけではなくそのお腹の子も……」
「は?」
お腹の子?そんなまさか…
「どうか現世を生きてください。あなたにもその子にも未来がある」
私はそれでも行こうとしたが強引に帰りの電車に乗せられてしまった。
私には好きで好きでたまらない人がいた。しかしその人は妻子もちで、身体だけの関係でも繋がれるだけでよかった。元々結婚願望なんてなかったし、いつか別れるからなんて言われていたが信じていなかった。ある日いつものホテルで待ち合わせすると、彼の様子がおかしかった。どこかうわの空で話しをしても力なく笑うだけ。何かあったか尋ねると、会社が倒産寸前でかなりの額の借金を背負うことになりそうだと……私は何とかしたいと資金調達に走ったが、彼は自ら命を絶ってしまった。好きでたまらない彼に会えないなら、生きてる意味がないと思ってあの場所に向かった。
診察を受けると妊娠3ヶ月だった。私は泣き崩れた。
「どうか現世を生きてください」
私は新しい生命を待ちわびながら今を生きている。
お題:終点 絵里
8/10/2023, 2:18:27 PM