『揺れるキャンドル』
家に帰ると、嗅ぎ慣れない匂いがほんのりとリビングに広がっていた。
燻した香りに不快感はない。
とはいえ、なにをしているのかは気がかりなので、ローテーブルに突っ伏している彼女に声をかけた。
「なにしてるんです?」
「んー……」
上から覗き込んでみると、小さな陶器でなにかを炙っていた。
アロマポットみたいなものだろうか。
優美で華やかなフレグランスとは違う系統の香りだが、陶器の中にはロウソクが立てられていた。
ぽやぽやとひとりの世界に浸っていた彼女が体を起こし、すぐ横に置かれた空箱を寄越す。
「茶香炉って言うんだって」
「ほお?」
箱の説明書きにザッと目を通すと、茶葉に熱を加えて香りを楽しむ香炉だそうだ。
ちなみにアロマオイルも焚けるようで、俺にはますます違いがわからない。
とりあえず、リビングに漂うほのかな香りは、煎茶の茶葉を燻したものだということは理解した。
「どなたかからの頂き物ですか?」
身だしなみの一環で香水をつけてはいるが、彼女は香りで個性を出すことを好まない。
控えめで穏やかな香りではあるが、彼女らしからぬ行動には違和感を覚えた。
俺の疑問に、彼女は茶香炉の小さな窓からキャンドルの火を静かに覗き込みながら答える。
「ガラガラで当たったの」
「ガラガラ……」
ショッピングモールに寄った際、年末商戦の一環で行われた福引で引き当てたそうだ。
ポケットティッシュ以外のものなんて、当てた試しがない。
彼女の引きの強さに素直に感心した。
「こういうの、れーじくんが好きそう」
「どういうことですか」
「だって、いつもいい匂いがするもん」
彼女がいきなり鼻先を俺に向かって近づけてくるので、慌てて距離を取る。
「ちょ!? さすがに今は勘弁してくださいっ」
まだ風呂にも入っていないのだ。
日中はけっこう動いたから、汗もかいたに違いない。
「ケチ」
「ばっちいからダメです」
頬を膨らます彼女の幼い仕草に、フッと息が溢れた。
「風呂、入ったあとならいいですよ?」
「じゃあ、待ってる」
からかい混じりに言えば、彼女がふにゃふにゃとした笑みを浮かべる。
「待ってるから、早くギュウってしてね?」
はにかみながらも素直に甘えてくる彼女が愛おしすぎて、胸の奥が苦しくなった。
ギュウでもチュウでもいくらでも……っ!
キュンキュンと胸の高鳴りが収まらないまま、俺は立ち上がる。
「速攻ですませてきます」
「いってらっしゃいー」
まろやかな笑みで見送られたあと、俺は爆速でシャワーを浴びた。
風呂を終えて再びリビングに戻れば、彼女は健やかな寝息を立てている。
最後の力を振り絞ったのか、茶香炉の火は消えていた。
……うん。
知ってた。
なんか既に眠そうだったもんな。
ちょっと起きたりしないかな?
なんて期待をしながら、ふわふわなほっぺたを突いてみるが微動だにしなかった。
泣く泣く、俺は彼女を抱えて寝室に向かう。
彼女に弄ばれた分は、翌朝に取り返してやろうと誓うのだった。
12/24/2025, 7:04:55 AM