ころ

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死んだ母は決して良い母親ではなかった。所謂「毒親」というやつだ。習い事や家のルールで私をがんじがらめにして、交友関係にまで口を出し、自分の思う通りに私が動かないとヒステリーを起こした。大事な物も何度も捨てられた。しかしながら、私には素質がなく頭もそこまで良い部類ではなかったようで母の努力も虚しく結局私は底辺を彷徨う弱者側の人間に成り下がってしまった。

母の期待の檻から逃れた後は気楽なものだった。家を出ても良かったのだが、私はそれをしなかった。抜け殻のように静かに穏やかになった母との距離感を心地よく思っていた。自分がこんな情けない状態でいる事で母に復讐してるつもりだったのかもしれない。母はたまに毒を吐くが、優しい部分も無い訳ではないので笑い合ったりする事もしょっちゅうあった。共依存のような状態にあったのだろうか。

それから数十年経ち高齢になった母はぼけて私のことなど何も分からなくなってしまった。日によって性格がきつくなったり、何もわからなくなったかと思えばしっかりと会話できる日もあった。昼寝をした事を忘れて夜眠れないと騒ぎ酒や睡眠薬を大量に摂取しようとしたり、足腰は丈夫なので外へ出歩いて近所のスーパーからパンを繰り返し買ってきて家中パンだらけにするのを止めるのに骨が折れた。恨みはあれど長年共に暮らした母親の老いを目の当たりにするのは結構きつかった。

そうしていくらか時が経った頃、不思議な事が起こった。母が健全だった時のように私の事を思い出したのだ。以前の鬼婆のような顔ではなく、見たこともない優しい顔をして私の頬に手を当て、私の名を呼んで一言「ごめんね」と。何がごめん?と聞くともう何も分からない母に戻ってしまっていた。それがなんだかとても悲しくて、私も、ごめんねぇ…と耐えられず声を上げてわんわん泣くと、目の前のお婆ちゃんは不思議そうな顔をして頭を撫でてくれた。

それから数日後に母は眠りながらそのまま安らかに息を引き取った。あの後の母は残念ながら私を思い出すことはなかったが、お互いに謝ってから私の心はいくらか軽くなっていた。私の謝罪が届いたかは定かではないが、これでよかった。私は母に謝りたかったし、母に謝って欲しかったのだ。許せない事ももちろんあるけどそれはきっとお互い様だろう。それに気づくのに何十年もかかった事が我ながら笑えてしまう。

母がもう何処にもいなくなってしまった事がとんでもなく寂しいと素直に思える事がほんの少しだけ嬉しかった。

5/30/2024, 9:11:33 AM